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2021.09.12
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カテゴリ:宜野湾市

(大謝名メーヌカー)

沖縄本島中南部の宜野湾市に「大謝名(おおじゃな)」集落があります。国道58号線と県道34号線(宜野湾西原線)周辺に広がる集落は昔、隣接する「真志喜集落」と「大山集落」を含めて「ぢゃな」と呼ばれていました。「大謝名集落」は碁盤目状に形成され、琉球王国時代は「中頭方西街道(現在の国道58号線)」の宿道集落として栄えました。また、米どころとしても知られ、肥大な田園が集落西側の「港田原」に広がっていました。


(黄金宮の標識)

「大謝名集落」の南側に「黄金宮(クガニナー)」と呼ばれる森があります。黄金庭、黄金森グスク、金宮とも呼ばれ「琉球国由来記」には「コガネミヤヨリアゲ森(神名:真次良御イベ)」との記述があります。「察度(サット)」が初代中山王として即位する前に楼閣を造営し居住した場所だと伝わります。周辺一帯からはグスク時代の土器や中国製の外来陶磁器などが採取されています。


(黄金宮/クガニナー)

奥間大親(オクマウフヤ)と天女の間に生まれた「察度」はある日、勝連按司が婿探しをしていると聞き勝連へ出かけました。勝連按司と家来は「察度」の汚い格好を見て馬鹿にしましたが、按司の娘は「察度」の人徳を見抜き嫁入りを決めたのです。「大謝名集落」の「察度」の家は垣根も壊れ雨漏りもしていました。しかし、汚れたカマドをよく見てみると黄金で出来ていました。驚く按司の娘を「察度」の畑に連れて行くと、沢山の黄金が石ころの様に転がっていたのです。


(黄金宮の祠内)

当時「大謝名集落」の北西側に隣接する牧港には日本の商船が頻繁に出入りしていました。初めて黄金の価値を知った「察度」は畑の黄金で鉄を買い、この鉄で農具を作り集落の農民に配りました。民衆の心を掴んだ「察度」はやがて浦添の按司となり、その後「初代中山王」に即位しました。中国明朝との貿易を正式に始め、東南アジアにまたがる交易の礎を築いたのです。人々は「察度」の功績を讃え「黄金宮」の地を聖地として現在も大切に崇め続けています。


(上之山御嶽の拝所)

かつて「大謝名集落」の中央で現在の県道34号線(宜野湾西原線)沿いに「上之山(イーヌヤマ)」と呼ばれる小高い森山がありました。集落の大切な拝所で「クサティムイ(腰当森)」てして親しまれていました。ちなみに「クサティ」とは「赤ちゃんが抱かれて寄り掛かる状態」を意味します。沖縄戦後、森は米軍住宅建設工事で消滅してしまい、拝所は「黄金宮」の敷地内に移設され現在も住民に拝まれています。


(カニマンバカ/金満墓)

14世紀後半、中国明王朝の初代皇帝「洪武帝(こうぶてい)」は対外政権として冊封・進貢策を取り、日本をはじめアジアや諸外国との交易を進めていました。招諭使の「楊載(ようさい)」は来琉した際、初代中山王「察度」に対して明朝への朝貢を促したのです。1372年「察度」は義理の弟である「泰期(タイキ)」を琉球初の使節団の団長として中国に遣わしました。こうして琉球王国における大交易時代の幕が「泰期」により開かれました。この「泰期」が「大謝名集落」南東部にある「カニマンバカ(金満墓)」に永眠しています。


(残波岬公園の泰期像)

中国との交易は「唐旅」と呼ばれ、遠方への旅路は生命の保障の無い危険なものでした。「泰期」はそれに臆することなく5回に渡り中国との貿易を交わしました。東南アジアに及ぶ大交易による黄金時代を築き上げた「泰期」は「商売の神様」として象徴され「残波岬公園」に銅像が立てられ「泰期」の言葉が刻まれています。

『指をさし、向こうに見えるのは中国大陸。たとえ残波の海が荒れていようとも、いざゆかん。果報をもたらす夢の大陸へ。』


(マテーシ/ウカマ)

(根屋内のヒヌカン/ビジュル)

(根屋内の位牌とウコール)

「カニマンバカ」の北西側に「マテーシ(又吉)」の拝所があり「御釜(ウカマ)」とも呼ばれています。「大謝名集落」の創始者と言われる屋号「又吉」の屋敷跡で、最も古い家筋である事から「根屋(ニーヤ)」とされて集落祭祀の中心的役割を担ってきました。現在は後継が絶えたため屋敷跡にヒヌカン(火の神)、又吉祖先代々之霊、又吉大根屋之神、又吉大按司之霊の位牌が祀られています。旧暦8月15日の夜に獅子舞の行事の前に集落の住民により大切に拝まれています。


(大謝名クシヌカー)

(ウシアミシガー)

(ウシアミシガーのガジュマル)

「マテーシ」の北側に「大謝名集落」で昔から使われてきた湧き水の「大謝名クシヌカー」があり「ミーガー」の名称でも知られています。地下の洞穴の天井が崩落したすり鉢型の"陥没ドリーネ"と呼ばれる地形になっています。更に「大謝名クシヌカー」の直ぐ北側には「ウシアミシガー」の湧き水があり、この名前の由来は牛を水浴びさせていた事に由来します。かつては一段下がった水場に牛を連れて降りる専用の通路がありました。立派に根を広げて育ったガジュマルが「ウシアミシガー」のシンボルとなっています。


(地頭火ヌ神)

(祠内の上之山の神)

(地頭火ヌ神の霊石)

「大謝名集落」の中央部で大謝名小学校の東側に隣接する「メーヌモー」に「地頭火ヌ神」があります。「大謝名集落」の守り神であるこの拝所は以前、前恩納(屋号)の屋敷近くにありましたがパイプライン道路拡張工事により敷地が削られた為、現在では「メーヌモー」へ移設されています。祠内には「上之山(イーヌヤマ)の神」が祀られており「地頭火ヌ神」の3体のビジュル霊石とウコールが合祀されて住民に祈られています。


(土帝君/トゥーティークー)

(祠内の霊石)

「地頭火ヌ神」に隣接して「土帝君(トゥーティークー)」の祠が建立され、祠内には「土帝君」と刻まれた霊石が祀られています。「土帝君」は中国から伝わった「農業神」です。かつて「土帝君」があった県営大謝名団地周辺は作物が良く育つ水田地帯でありましたが、土地が低かった為に大雨が降る度に水没していたそうです。現在「土帝君」は「メーヌモー」に移設され、旧暦2月2日に集落の住民により祈られています。


(大謝名メーヌカー)

(大謝名メーヌカーのカービラ)

「地頭火ヌ神」と「土帝君」がある「メーヌモー」の南側麓に「大謝名メーヌカー」の井泉があります。「大謝名集落」の住民がかつて生活用水、若水、産水、死水として使った、暮らしや人生の節目の行事に欠かせない湧き水です。樋口の上部に造られた窪みにはウコール(香炉)が祀られています。「大謝名メーヌカー」に通じる立派な石畳の坂道は「カービラ(井坂)」と呼ばれ、湧き水と共に宜野湾市指定の文化財に登録されています。







最終更新日  2022.03.06 23:17:11
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