タキヌウガンで拝される御嶽のイビ@今帰仁村「湧川の御嶽/湧川集落」
(湧川の御嶽)沖縄本島北部「今帰仁なきじん)村」の「湧川(わくがわ)集落」は1738年に創設されたムラです。約200年の歴史があるとされる集落では伝統行事が大切に継承されており、「ムラウチ」と呼ばれる集落の中心部では年中行事の「豊年祭」の際に県無形民俗文化財に指定されている中国由来の「路次楽(ろじがく)」という舞踊、棒術、獅子舞などが奉納され、集落の五穀豊穣と住民の無病息災が祈願されています。「路次楽」で用いられる吹奏楽器は「ガク」や「ガクブラ」と呼ばれ、主に行列をなすときに吹奏されます。なお「湧川集落」は周囲の集落と比べて新しいムラで、琉球士族が多く移り住んだ土地であったと伝わります。(ヌルドゥンチ/ノロ殿内)(ムラガー/村ガー)(ムラガーの水源)「湧川公民館」の北西側に「ヌルドゥンチ(ノロ殿内)」があり、社の祠内には火の神が祀られています。境内は70坪ほどあり「ノカネイ」と呼ばれる神職により管理されてきました。「ヌルドゥンチ」は通常、各集落のノロ(祝女)が住んだ場所ですが「湧川集落」は集落の発祥当時から現在に至るまで「勢理客ノロ(シマセンコ巫)」により祭祀が執り行われています。「湧川公民館」の北東側には「ムラガー(村ガー)」と呼ばれる井戸があります。かつて「ムラウチ」と呼ばれる集落の中心部で重宝された共同井戸で、現在も枯れる事なく水が湧き出ています。「ムラガー」の奥にある岩の割れ目が水源となっており、丘陵に降った雨水が琉球石灰岩により自然濾過されて湧き出ています。(イビヌメー)(イビヌメーの内部)(御嶽頂上のイビ)(御嶽のイビの霊石))「ヌルドゥンチ」の北側は「湧川の御嶽」の森となっています。森の丘陵中腹部に「イビヌメー(イビぬ前)」と呼ばれる小屋が建てられており、聖域である御嶽に入る門の役割をしています。御嶽の内側の神聖な場所(神域)と、外側の人間の暮らす場所(俗界)との境界を表していると考えられます。「イビヌメー」の奥から御嶽頂上の「イビ」に向かう階段が一直線に続いています。「イビ」は「イベ」とも呼ばれ、御嶽の中で最も重要な場所を意味します。更に、御嶽に祀られている霊石や御神体も「イビ」といいます。旧暦4月の最後の亥の日には「湧川集落」の年中行事である「タキヌウガン(嶽ヌ御願)」が執り行われ「勢理客ノロ」や「湧川の神人」により拝されています。(メンビャの広場)(メンビャの井戸のウコール)(シーシヤー/獅子屋)「湧川公民館」の西側に「メンビャ」と呼ばれる広場があり、そこにある大木の下には井戸跡がありウコール(香炉)が設置されています。「メンビャ」では「湧川集落」の棒術の演舞や、中国に由来する「路次楽(ろじがく)」の奉納踊りが行われます。「湧川集落」には今から約200年以上前に「與儀家先祖」と「與儀銀太郎」が移り住んだ際に「路次楽」が伝わり、戦時中も避難する壕の中で「路次楽」の楽器や道具が大切に保管されました。「湧川集落」では現在でも「路次楽」の踊り、音楽、楽器、楽器の製法や奏法などが忠実に受け継がれています。「メンジャ」から「按司道(あじみち)」と呼ばれる道を北に進むと「シシヤー(獅子屋)」の小屋があり「湧川集落」の守り神である「獅子」が大切に収納されています。(運天竜宮)(運天竜宮の祠内部)「湧川集落」の北東側沿岸に「運天竜宮」と呼ばれる「竜宮神」を祀った祠があります。海の航海安全と豊漁を祈願する拝所で、祠内部には霊石とウコール(香炉)が設置されています。さて「湧川集落」に伝わる有名な民謡に「モーアシビ(毛遊び)の歌」があります。『村寄しりしり 湧川村寄しり 村ぬ寄しらりみ あん小寄しり』(ムラをこちらに寄せてこい 湧川のムラを寄せてこい ムラを寄せることなどできるものか そちらこそ娘たちを寄こしなさい)「湧川集落」から海を挟んだ対岸にある「屋我地島」の若者が、一緒にモーアシビ(毛遊び)ができるように「湧川」のムラを引き寄せてこいと詠います。それに対して「湧川集落」では、そちらこそ「屋我地島」の娘たちを「湧川」に寄せなさいと返している歌です。(湧川の御嶽)『湧川美童や 天ぬ星ごころ 拝まりやすしが 自由やならぬ』(湧川の乙女たちは 天空の星のようなものだ 姿かたちを拝見することはできるが 自由に一緒に遊ぶ事はできない)これは「屋我地島」や隣接する集落の若者が詠ったとされる歌です。当時の「湧川集落」は地位の高い士族が多く住む集落で「名護市史近代歴史統計資料集」によると、1903年の「湧川集落」の士族戸数は247戸中100戸(約40%)という非常に高い比率となっていました。その為、士族の娘たちは集落の平民が集う「モーアシビ(毛遊び)」になかなか参加することが出来なかったそうです。