ごんどうごんぞうじゃ。

2011/01/30(日)21:04

忘れ物の正体

なぜに私は京都に来たの?(46)

昔、O君が書いた小説ってなかったか? ひょっとしてどっかにない?勘違いやったらごめん O君のお墓参りにいこうと計画をしていて ふとそんな事を思い出して友人のKにメールをした。 程なく返信されてきて 探せば有ると思います。新年会に持って行きます との事。 彼のお葬式の前後にボクの引き出しから出て来たそれは 文庫本だと記憶していた。 内容についてはほとんど覚えていない。 その本と久しぶりに会える。 14年ぶりに対面したその本は文庫本ではなかった。 70ページ足らずの小冊子でいかにも自費出版ていうか 手作り感のある冊子だった。 少し黄ばんだページをめくるが、 ボクの記憶力の悪さも多々有るのだろうが 初めて読むような感覚なのである。 とりあえず新幹線の中ででもゆっくり読もうと思い ボクはその小冊子を鞄にしまい込んだ。 『ボクも見たい』といっていた友人もいたが 宴会の最中やましてや麻雀やりながら読むわけにもいかず 『また読んだら送るから』という事にしておいた。 そういうボクも結局新幹線の中では 寝てばっかりだったので読まず、小冊子を手にしたのは 家に帰って一息ついてからの事だった。 70ページ足らずの素人(失礼・・・)の文章だ。 カンタンに読めてしまう。 最後の話で血液ガンにおかされて みずからの命をたつ主人公の女性の遺書がある。 遺書としては、幼い拙い文章だ。 いやでも20歳そこそこの主人公だったら、 案外そういう文章なのかもしれないななどと いろんな想いで読み進めた。 実はO君は血液ガンで亡くなったのである。 この小説を書いた22歳の頃には もちろんまだ発症はしていない・・・。 こういう文章で締めくくられていた。 『ひとつお願いがあります。私の誕生日にお墓参りにきてくださいネ』 O君が、『来てくれてありがとう』って笑ってる。 彼をお参りする事。それがボクの長い間の忘れ物。 そしてお守りはきっと彼で それからのボクをことごとく救ってくれていたのは いろんな人に巡り会わせてくれたのは 彼だったのかもしれない。 ボクの方こそありがとう。 今度は彼の誕生日の夏にでも・・・。

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