6/30
朝4時のモーニングコール目には目を覚まして起きれるように気合を入れていた。
4時になり、ホテルのおっさんのモーニングコール(ノック)があった。2回目のノックの後に部屋のドアを開けた。
挨拶をして、着替えをした。
この日も天気は良かった。
でも、まだ暗かった。
4:30頃、出発した。
トルコ兄ちゃんとごんたは車に乗って、ネムルトダーゥ山頂まで向かった。
既に山頂には観光客が来ていた。
皆、日の出を待っていた。
遺跡前の台座
寒いと聞いていたけど、長袖パーカーとTシャツだけでも寒くなく、寒いというより涼しい感じだった。
5時頃、日の出。
めちゃ綺麗だった。
像は、人の影で上手く頭部が写せなかったりしたけど、まあまあ。
カメラの設定がよく分からず、上手く日の出は撮れなかった。
しばらく、撮った。
夕日・朝日どちらも見れて良かった。
5:30頃
車に戻ると、トルコの兄ちゃんは別ルートに移動したようで、ごんただけになった。
昨日のスロベニアの夫婦が他の車に乗っていた。この夫婦もここから別のところに移動するようだった。
挨拶をして、宿に戻った。
6時頃 朝食の準備が出来ていると言われ、食べに行った。
キュウリ・トマト・パン・ジャム・チャイ・ゆで卵
夜に比べると、質素だったけど、パンはおいしかった。
食べながら、朝の話をホテルの兄ちゃんとした。
兄ちゃんは、実際にはモーニングコールはせず、別のおっさんが来た。
兄ちゃんは、何時まで寝ていたか聞くと、5時とのこと。
えーーー!!ごんたは4時に起こされたのに・・。
ごんたは、あまり眠れなかったと言うと兄ちゃんに笑われた。
このネムルトダーゥの観光は、4ヶ月間しか出来ない。冬場は、ツアーは出来ない。
4ヶ月、この時期モーニングコールをするおっさんは、必ず欠かさず早起きで寝るのは、夜8時だという。
でも、雨の日は起きなくていい。
何故、ちゃんと起きれるかというと・・それは目覚まし時計とのこと。
その目覚まし時計を見せてもらった。
本当に普通の日本にでもあるようなものだった。
ごんたは、朝食を終えると、すぐにマラテヤに戻ることになった。
6:30
ごんたと運ちゃんと子供が車に乗った。
ホテルのスタッフたちに挨拶をして、いよいよ出発。
途中、村の若い夫婦が乗って来た。
ごんたは、眠いのでうとうとするも山道は、かなり揺れた。
30分ほどで運ちゃんの家に着いた。
子供を家に戻すと、また走り出した。
程なくして、夫婦の女性が吐きまくり。
しかも、席がごんたの前。
吐いた後、ビニール袋に入った汚物を持って、ごんたのすぐ近くのドアを開けて、袋のまま・・捨てた・・
ゲロ爆弾じゃん・・。
止めてくれよ~
ごんたまでもらいゲロしてしまうよ。
少し窓を開けておいた。
男性の方は、介抱する訳でもなく、ごんたの後ろの席で横になって寝ていた。
それからも女性は吐きまくっていた。
振り向いて、ごんたを見てきたので、ごんたは『大丈夫?』と聞いたが・・辛そうだった。
2時間程して、行きに立ち寄ったレストランに着いた。
ごんたは、トイレに行った。
朝飲まなかった薬と頭痛の薬を飲んだ。
1日1回は頭痛薬を飲んでいる。
何だろう?暑さなのか緊張からか?頭が痛かった。
その後、手を洗い・・湧き水を汲んでペットボトルに入れた。
すぐに出発。
この辺り、砂山ばかりだけど、川の源流みたいなところがあったり、川が流れたりしてとてもいい感じだった。
車窓から撮れなかったけど、ゆっくり見てみたいと思った。
8:30頃
マラテヤの街に近付いた。
夫婦の家族を一人乗せ、その後、病院に向かった。そこで、三人は降りた。
ごんたは、9時頃県庁付近に着いた。
あのツアー主催のケマルのおやじが出迎えてくれた。
でも、ゲロ吐きまくりを目の当たりにしていたので、ごんたはちょっと気分が悪くなっていた。
眠かったし。
ケマルのおやじがバックパックを出してくれ、背負わせてくれた。
茶をごちそうすると言われたが、荷物をひとまず今日の宿(まだ決めてなかったが)に預けたかったのと、宿も先に決めたかったので、断った。
前日、ケマルのおやじにマラテヤの観光の話も聞いていた。
しかし、眠れてなかったのと、また次の朝空路での移動が早朝だったので(←早朝ばっかだ・・)、無理して出掛けてグッタリするのもどうかと思った。
ケマルのおやじとは、ここでさよならしようと思った。
話が長くなるのも嫌だったし・・。
ケマルのおやじに断って、バックパックを背負うと、運ちゃんに挨拶をした。
最後だけは、この運ちゃん笑ってくれた。ふぅ~
そこから、ごんたは宿探し開始。あまり時間を掛けたくはなかった。
県庁から遠くに宿があると思っていたが、イェニジャーミィの近くにあった。
そのホテルに向かうことにした。