のらりくらりと行きたい

2009/09/28(月)22:03

外国人の参政権について。

ニュースから(31)

先日、公明党が外国人の地方選挙権を認める法案を提出したらしい。 外国に居住してから23年、外国の永住権を取得してから17年になるが国籍は母国においてある一邦人として、コレは考えてしまう問題である。 公明党は元々外国人参政権に積極的でありマニフェストにも掲げている。 民主党は法案を公明党の次に多く国会に提出している。マニフェストには載せていないが党の基本政策にはこの事は明記されている。 共産党も地方参政権に対して積極的であり、選挙権だけではなく被選挙権も与えるように党の方針として進めている。 ところで参政権と選挙権と言う言葉がこの件に関してゴチャゴチャになりネット上で交わされる色んな意見に使われている。 正確には: さんせい‐けん【参政権】 国民が直接または間接に国政に参加する権利。選挙権・被選挙権、公務員となる権利、公務員を罷免する権利、国民審査の権利など。 せんきょけん【選挙権】 議員その他一定の公職に就く者を選挙する権利。参政権の代表的なもの。日本国憲法は公務員の選挙について、満20歳以上の者による普通選挙を保障している。 という事らしい。 日本の場合、この『外国人』と言う言葉を使う場合、『特別永住者』が含まれている為に簡単に他国と比べる事は出来ない。 この特別永住者とはWikiによると『平成3年(1991年)11月1日に施行された日本の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(平成3年法律第71号。略称・入管特例法)により定められた在留の資格のこと、または当該資格を有する者をいう。日本の降伏文書調印日(昭和20年9月2日)以前から引き続き日本(いわゆる内地に限る)に居住している平和条約国籍離脱者(朝鮮人(韓国人)及び台湾人)とその子孫を対象としている。 平成20年(2008年)の実数は、前年より9924人減少し42万305人である。その内、韓国・朝鮮籍が99%と大多数を占める。日本国に存在する約222万人の外国人の中で約19%を占めるが、その割合は年々低下している。』という事だ。 在日と呼ばれているこの特別永住者の人達の辿ってきている道については全く両極端の意見もよく見られるので、選挙に関する歴史的な変遷を辿ってみると。 植民地時代は『日本国民』であったが、戸籍については日本人と区別され植民地ごとに別の戸籍が作られて戸籍法の適応は受けなかった。そしてこれらの地域には衆議院選挙の選挙区は設置されなかったが選挙を要しない貴族院では台湾人や朝鮮人も議員に任命されていた。そして台湾人や朝鮮人でも内地に移住した場合は衆議院議員や地方議会選挙で選挙権を行使できた。そして被選挙権もあった。 内地では実際に1932年には東京4区から出馬した朝鮮人が衆議院議員に当選して1937年にも再選されている。地方議会でも同じ1932年に市会議員選挙に当選した人も居る。選挙は戸籍名にしたがって行われるため朝鮮の人は朝鮮名で立候補になる。 戦時中は徴兵や徴用の見返りに1945年4月1日に改正された衆議院議員選挙法によって台湾と朝鮮にも帝国議会の議席が与えられ、選挙によって衆議院に議員を送ることが出来るようになった。但し有権者は1年以上直接国税15円以上の納税という制限が課されており普通選挙ではなかった。また議席数は、衆議院の定数466に対し台湾5名、朝鮮22名とされた。 そして戦後。 多くの旧植民地からの人は帰国していったが、その後日本滞在を希望した人や帰国後の生活基盤や渡航費用が無い為に帰国を諦めた人、そして一旦帰国したがその後の自国の混乱のなか再び日本にやってきた人は日本に定住する事になる。 戦争終結の平和条約締結までや旧植民地に正式な国家が成立するまでは日本国籍を持つものとし、1945年10月に参政権を認める閣議決定。が、同年12月に参政権を停止。そして1947年5月には外国人登録令によって外国人としての登録を義務付けた。 1951年に調印された平和条約には旧植民地人の国籍に関する明文は無かったが、翌年の発効に伴い、政府の戸籍法を基準とする方針により内地に戸籍の無いものは日本国籍を喪失した。 そして社会的権利を失ってしまったこの旧植民地人に対し、60年代後半に国民健康保険制度が、80年代には国民年金制度が適用されるようになった。 (植民地時代から戦後までのあたり、Wikiから抜粋・参照) そして『特別永住者』なる『枠』が出来たのが結構最近の1991年。 入管法の特例として『戦前から定住する旧植民地人(いわゆる平和条約国籍離脱者)とその子孫は特別永住者』となったらしい。 権造の全く個人的な意見としては、この枠組がそもそもの問題なのでは、と思う。 こんな中途半端な枠組みを作らずに、『外国人として日本で暮らす』か『日本に帰化する』かのどちらかを選択する機会を与えて本人に選んでもらったほうが良かったのではないかと思う。 簡単に言うなよ、と思うかもしれないが、この2択って母国以外の国に住むものにとってものすごく難しくものすごくこだわりのあるチョイスになる。 権造の場合、全く平和な時代に自分の意思で渡米して自分の意思で永住を決めたわけだが、帰化するかしないかという問題は精神的にものすごく重い。要はどれだけ『民族』というものにこだわるか、という事になる。 永住権を取った後、何年かすれば帰化できると聞いたが、当時は『日本人である事を捨ててアメリカ人になる』という自分が想像すら出来ずに、合法的に永住するだけで充分だと思った。自分はあくまで『日本人』だと思っているからだ。この『日の丸の重さ』は個人によって様々で知り合いの中にもあっさり帰化した人達も多い。帰化した人達は参政権を得たし多分将来の社会保障も外国人よりは良いと思われる。例えばこの前の大統領選挙などは『一票入れたい!』という思いがかなりあったが、じゃあ選挙権が欲しいからアメリカ人になるか?と言われると、選挙権が無くても日本人で居るほうがいいような気がする。 テロ以降移民に対して厳しくなり続けているアメリカなので、この前のグリーンカードの更新の時も散々帰化を勧められた。作造だって以前は『ダレがアメリカ人になるか!グリーンカードで上等じゃ!』と叫んでいたのに最近は更新が面倒だったりして、『帰化してもええの~。』なんて言っている。なのでこの先権造も含めて国籍をどうするかは分からない。 外国に住んでいて絶対に自分の生まれ育った国の人であり続けたいと思う気持ちは時間の経過と共にたぶん薄れていく。将来はハワイだ日本だと言っている作造だってそうである。権造の場合、ハワイは飛ばして日本に帰りたいと思う希望があるが、それだって現時点での希望で、いざその時になって成長したチビ達とめったに会えない所に平気で住めるかどうかは分からないものの、そういう希望はあるからあえてアメリカに帰化しなくても、という思いはある。ただ、例えば一旦アメリカに帰化しても再び日本に帰りたいと思ったときに日本の国籍を復活させる手続きがものすごく簡単だったら、アメリカに帰化する方にかなり傾いてしまうと思う。が、やっぱり一抹の抵抗もある。 と言う風にグルグルと堂々巡りになってしまう訳で、その位多くの人にとって『自分がどこから来たのか』というルーツは大切なものだという事だ。 もも造、ここ造の場合は今国籍が2つあるが将来どちらを選ぶかと聞くまでもなく、本人達は『アメリカ人』である。二世以降というのはルーツを強烈に感じつつも生まれた土地の人になる傾向がある。 そうやってアレコレ考えた場合。 特別永住者の人達の場合、戦争というものがあった訳だから権造と同じように考える事は出来ないが、それでも2世3世と続いていく中、先祖に流れる民族の血よりも日本に同化していくという感覚すらない世代の人達も多いんじゃないかと思う。 例えば以前話題になった『カルデロンさん一家』(と次の日の日記)の場合は、両親が偽造パスポートで入国した違法滞在者家族であるからのり子さんには残念ながら当てはまらないと思うが、一時は日本国民と認めて今も特別枠を作って社会保障をある程度してまでいるこういう特別永住者やその子供達は外国人になるか日本人になるかの選択する権利があってもいいと思う。 特別永住者なんて変な枠は取っ払って『日本人になるか、外国人のまま暮らすか』を選んでもらう。日本人として生きる事を選ぶ人は、選挙権や他の社会保障も全て受ける事になるがルーツは捨てる事になる。自分は○○人だ、と頑なに思うのであれば、外国人として暮らしていけばいいのだ。 政府は1991年にこんな枠組みを作ってとりあえずウヤムヤにしてしまわずに、もっとこの人達の国籍に関する議論をすればよかったのでは、、と思う。だったら今になって『特別永住者に選挙権を!』なんて叫ぶ必要も無かったと思う。 権造は外国人(この場合、特別永住者、という事ではなく一般的に)に参政権は特に必要ないと思っている。やっぱり本当にその国に骨を埋めるような人や自分の住んでいる国を変えたいと思うような人であれば帰化するべきだと思う。今から100年後なんかにはこういう考え方自体が古臭いような今とは全く違った世の中になっているかもしれないが、『国境』というものが存在する現代、それぞれの人に自分の国とそれ以外の国々が存在するわけだ。そんな中、やっぱり郷に入っては郷に従え、じゃないけど、他国に住むという決意をしたならその国の方針にある程度則る必要はあると思う。 今回の公明党の法案提出や民主党や共産党の基本政策にしても。 鳩山さんは『いろんな違いを乗り越えて』と良く言うが、国と国との違いと言うものは現時点で確実に存在しているわけで、乗り越えると言うよりも理解し尊重しあう事が大切で、『違いを消してしまう』事が解決法になるとは思わない。じゃ~帰化するという事は違いを消す事にはならないのか?と言われそうだが、異国の人間だが政治に参加したいという人と比べて、すでに帰化しても良いと言う『その国の人』という自覚がある人には『違い』という観念すらあまりないかもしれないと思う。 なんて事を考えてみるのだが、やはり難しい問題である。 で、あくまで最初にも書いたが、『外国に永住しているその国の選挙権を持たない一日本人』としての意見なので、コレを読んで不快な思いをした人にはあらかじめスミマセンと謝っておきたい。 が、誹謗中傷の類のコメントはご遠慮頂きたいし、マナー無視なご意見はメッセでお願いしたいと思います。 読んでもらったついでと言っては何だけど、何となく、位なら、権造の言う事が分かるかも、と言う人も、絶対におかしい!反対だ!と思う人も、クリックよろしくお願いします! ↓↓↓ にほんブログ村 ********追加******** 帰化するには多大の費用がかかるとか、手続きが大変だという背景もあるが、『2003年から特別永住者に対して帰化の動機書が不要になるなど帰化申請手続きは年々容易になりつつある』と言う記述もある。特別永住者の数も年々減少しているらしい。 それでもこの手続きがいまだ容易なものではないのは想像つくが、各政党の思惑はどうなんだか知らないが、それだけ特別永住者の人権というものを考えるのなら、選挙権は与えても外国人扱いにするよりは、その人達を尊重して帰化するのかしないのか選択権を与えるのがもっと根本の問題解決になると思うし、60年経っても根強く残る戦争にまつわる諸問題を解決する事に繋がると思う。

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