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カテゴリ:昔の思ひ出
A friend to everybody is a friend to nobody.
『だれとでも友達になるものはだれとも友達でない』 二十歳の頃ぐらいだっただろうか、「友達」について深く考えたことがある。 高校生の頃までは誰にも嫌われたくなくて、誰とでも仲良くしようとしていた。 それはつまり自分に仮面をつけて、自分を偽って嫌われないよう嫌われないようにしていたのかもしれない。 一人になるのが怖かったのだ、無性に。 でも「友達」について真剣に考え始めて、ある人にこんなことを言われた。 「あなたぐらいの歳になると、友達は選ぶものなのよ」 「あなたが友達になりたくても相手がそう思わなかったらそれが成立しないように、あなたはあなたと気の合う人達と友達になればいいのです」 硬く考えすぎるのはよくないけれども、僕が欲しいのは真面目な話も、愉快な話も、辛い話も、クダラナイ話もいっしょに共有できるような友達。いっしょにいるだけで安心出来るような関係。 みんな楽しいことを考えたり話したりする方が好きなのはわかっていますが、悲しいことや苦しいことの話こそを親身になって話し合える友達がいたらどんなに心強くて嬉しいことだろう。 その付き合いが一生続くとなおさらだ。 自分から合わそう合わそうとしていたあの頃、そしてノリだけの友達はもういい、そんな風な考えに変わってから友達がどんどん出来なくなってきた、そして減っていったような気がする。 でも今いる一人一人の友達の関係がすごく濃いものになっている、それでいいんだと思う、すごく嬉しいことです。 こんな考え方は硬すぎるのかなぁ?でもこれが僕の性格なんだと思う。 『つまらぬ友と付き合うくらいなら一人で生きよ。 これを処世訓として肝に銘じておきなさい。 自分より優れた人間か、せめて同程度の人間を友とすべきだ。 人間の価値は、常に友の価値よって決まる。』 (コリングウッド) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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