カテゴリ:読書(哲学)
ドゥルーズはどうやら科学を嫌悪あるいは蔑視しているようである。
それはヴィトゲンシュタインにも見られる。 例えば、「わたしたちは、どのような条件において、そうした実験は反復を保証するのかと問わなければならない。類似の巨大な諸循環のなかではどんな推論も可能であって、自然現象は勝手気ままに生じるのだという考え方からすれば、あらゆるものがあらゆるものに反応し、すべてがすべてに類似することになる(雑多なもののそれ自身との類似)。ところが、実験は、比較的閉じた環境をつくり、そのなかで、わたしたちは、選択された少数のファクターに即してひとつの現象を定義する(そのファクターは、最小限二つであって、たとえば、真空中の物体の運動一般については、空間と時間である」や 「反復を定立するものも、定言的なものも、あるいは反復のなかで権利上価値あるものも説明されはしない(権利上価値あるものというのは、二回目、三回目を経る必要のない、たった一回の力=累乗としての「n」回のことである)。反復は、たとえ現れ出るために、ひとつの一般的なレヴェルからもうひとつの一般的なレヴェルへの人為的移行を利用するにしても、その本質において、本性上一般性とは異なる特異な力=累乗を指し示しているのである」等に見られる。 科学実験は、勿論、近似的な理想空間における概ね帰納的な営為である。 なにもそんなに批判する必要もない。 それよりも、ドゥルーズが力こぶを入れて主張する「たった一回の力=累乗」の価値を強調するには的外れのように感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018/08/29 02:10:15 AM
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