カテゴリ:読書(哲学)
どんな論者も多かれ少なかれそうだが
ドゥルーズのうねうねと曲がりくねった文章には 詰まる所、自分の恣意的な結論へ無理やり導こうとする強い作為を感じる。 それはともあれ、「追想についての徹底操作が欠けているとき、即時的に存在するような知は、もはやその知の対象の反復でしかない」は概ね正しいだろう。 下世話に言ってしまえば、反省のない追想は無意味だと言いたいのだろう。 だが、「追想の徹底操作」など出来はしない。 勿論、しないよりはマシだろうが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/07/30 12:00:15 AM
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