カテゴリ:読書(哲学)
國分巧一朗は概念を合成要素に分ける。
デカルトのコギトなら、「私は疑う」「私は考える」「私は存在する」等だ。 それらは、内面空間で、半ば無理やり背骨のようにつなぎ合わされる。 トマス・ホッブスによる、「それなら、<私は散歩する、ゆえに私は存在する>とも言える」といった、ほぼ、揶揄に近い混ぜっ返しは思考のイメージの違いとされる。 そこへいくと、カントによる批判の方が重要だ。 カントは、「考えた私」と「その私を思考する私」を時間によって分けた。 新たな合成要素の導入により内面空間に変化が生じた。 そこに國分巧一朗は、哲学が真理へ収斂せず、いくつにも枝分かれする機縁を見た。 哲学はそれまでの哲学的問いへの問いという形で発展するのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019/08/05 12:00:14 AM
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