カテゴリ:読書(哲学)
「哲学者は救いの言葉、すなわちその時まで我々の意識にとらえがたくのしかかってきたものを、遂にとらえさせてくれる言葉を求めて努力する」とヴィトゲンシュタインは述べた。
これは、スピノザの「一般生活において通常見られるものすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられた」の気分に通ずるように感じる。 また、芥川龍之介が漏らした「なにか僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」も。 「人はパンのみに生きるにあらず」の核心はここにあるのだろう。 そして、鬼界彰夫はこう続ける。 「このようにウィトゲンシュタインの哲学的思考は、常に自己の生と救済を目指した個人的で私的な営みであった。私的であるとは、自己の時代を絶対的に拒否することである」と。 確かにそうだろう。 だが、多くの個人が孤独に生きる現代にあってウィトゲンシュタインの私的哲学にも有用性があるのではないか? また、大衆が高揚し戦争に向かう世の中よりマシではないのか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022/08/25 06:03:56 AM
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