不実な美女か貞淑な醜女か 米原万理
「理想とする完璧な通訳とは何であるか?」通訳の世界で第一線で活躍され数々の名エッセイを遺された米原万理さんの究極の選択が、そのままこの本のタイトル名になっている。米原万理さんという人物を初めて知ったのは、かなり前確か私が学生の頃だったように思う。旧ソヴィエト連邦の要人通訳には必ずこの人が付いていたことや、同時通訳という時間制約のある難しい仕事を極めて冷静かつ正確に仕事をこなしている姿がとても印象的だった。彼女が選びだす言葉(日本語)は分かり易く的確、無駄がなくそれでいて美しい。ロシア語はまったく解らない私だが彼女の操るロシア語もそれと同じであっただろう。当時外大で語学を専攻していたへなちょこ学生には、その姿は憧憬の的として映った。彼女の通訳以外の話し方も聡明でユーモアがあり、女らしさ溢れるふくよかな容姿も同性からみても非常に魅力的だった。異なる文化、歴史を背負った異国の者同士が、それぞれの母国語で話しストレートに意思が通じるということはまずあり得ない。その間に立ち、互いのコミュニケーションを邪魔することなく詳細まで極めて正確に意思伝達しようとする仕事が通訳である。通訳という行為は「言葉の戦い、または和解。時には妥協も含まれる。」と言われるように、限られ時間内に流れる音声を瞬時につかまえて自分の中で消化し、自分の持てるありとあらゆる駒(知識、教養、研究素地、等)を使い、アウトプットする過酷な作業の連続である。話者の真意を掴む細やかな感性、話し手聞き手の両方の立場をも配慮した謙虚な姿勢、瞬発力、時には度胸も必要。この本を読むと通訳という仕事が、どれほど過酷で容赦なく厳しいものであるか、また人間臭く奥深く楽しく興味深いものかがよく分かる。米原流下ネタ・ユーモラスな小噺も取り込みながら、読者は時にはお腹を抱えながら飽きることなくその魅力に嵌っていく。いつの間にか彼女の論理的な文章構成に唸り、世界にまたがる豊富な経験談に頷き、彼女の海のように広い語彙に泳がされる。ロジカルなのに嫌味がなく時には茶目っ気のある文章が心地よく快感で、一気に読んでしまった。文系出身が圧倒的に多いと言われる通訳者が、門外漢である理系分野に関する技術最先端の会議でどのようにして臆することなく仕事をやりとげているかというくだりが非常に興味深かった。理系であるよりも文系(特に文学部出身)であるが故に身につけられた教養(古今東西の文学は世の中の諸々の現象も言葉により見事に表現する知恵を授けてくれる)や、柔軟な言語駆使能力の高さが、困難を克服してくれると言う。世の中は便利になり機械翻訳(コンピューター翻訳)もある程度まで可能になったが、優秀なコンピュータでも到底無理なニュアンスを含む難しい部分をも見事にカバーし、異国の異文化背景を持つ人々の心を繋ぐ確かな手ごたえの「通訳」を作るのは、こうした文系で粘り強く培った教養なのだろう。「外国語を学ぶことは、つまり日本語を学ぶということ。」学生時代にもよく耳にした言葉が、改めて蘇ってくる。消極語彙・積極語彙の概念、その差を縮める努力を惜しまないこと。言語学・音声学にもさらりとふれながら言語そのものの本質を探る。でも、こういった内容を、肩肘はらずに楽しく読めるところもすごいなと思う。通訳業を天職とし、その仕事を頂上のない登山にたとえながら、最後まで上に登る努力を惜しまなかった姿がこの本によく表われている。彼女の新しいエッセイがもう読めないのは、非常に残念に思う。ISBN4-10-146521-5