楢山節考 深沢七郎
深沢七郎の「楢山節考」を読んだ。図書館で見つけたかなり古い本だが、面白かった。要所で歌を効果的に挟み込み、読み手に印象深く、独特な味わいがある。信州山間のとある貧しい集落が、舞台である。痩せた土地ゆえ常に村全体が食糧難で、村民達は、収穫の無い冬を乗り越えることも、家族がこれ以上増えることも、命取りになるような厳しい暮らしをしている。この村では、高齢になると(70歳)年寄りは、食い扶ちを減らす為に、「楢山まいり」へいくことが決まりになっている。「楢山まいり」とは「姥捨て山へ、子が年寄りを棄てに行く」行為である。なんとも怖ろしい村の掟だ。最初は高齢者に厳しい物語なのかと身構えて読んだが、読み進むうち、そうでないことがわかってきた。年老いたものが、自ら身を引き、村や家族の存続のために命を絶つ覚悟をする。「おりん婆さん」も、自ら進んで山に棄てられることを望んでいて、その準備も怠らない。息子「辰平」の後妻を見つけ、家事や自分の得意な山仕事の引継ぎをし、自分亡き後の家族の幸せを心から願っている。楢山まいりに相応しい形相になる為に、自慢の健康な歯でさえ躊躇することなく、へし折る。夏は嫌だよ、道が悪いむかでながむし、やまかがし楢山まつりが三度くりゃよ、粟の種から、花が咲く村には様々な歌があり、暮らしに密着して常に歌われる。悲壮な話も歌にされ、あっけらかんとコミカルに、ある時は冷笑的に。貧しい山村の閉鎖的な制度に私は驚いたが、よく読んでみると、歌の内容も、村の掟も、痩せた土地で人々が命を繋いでいくために生み出した苦肉の策であり、先人達の生きる為の知恵が織り込まれているのだ。昔の日本にはこんな時代があったし、そうせざるを得ない集落が存在したんだ。息子の背に負われ楢山へ登る途中の風景・母子の心情が、胸に突き刺さる。年老いた母を山に残し、村へ戻る息子の断腸の思い。そんな息子の気持ちも手に取るように解っていて覚悟を決める老女。「老いる」ことは酷だな、とつくづく思う。歩いてきた人生の後ろ側には数々の想い出があり、生への執着を深めるだろう。しかし、これから先は、衰えてゆく自分との戦いが待っている。伴侶も友達もどんどんと年老いて亡くなっていく。年老いて、社会的に必要とされなくなった感じる時、人はどんな気持ちになるのだろう。おりん婆さんのように、潔く心を決めることは難しいのではないか?生に執着する気持ちは、ないのだろうか?おりん婆さんの「楢山まいり」は、理想的な死への旅立ち方かもしれないと思った。愛する息子に背負われ、神々の住む山で堂々と死に向かう姿。雪が降り出すシーンで胸が熱くなった。