あれから1年・・・
あの震災から1年。1周忌とか1周年とか、そういうことにはあまり関心のないヤマザキですが、さすがにこの震災だけは特別です。昨日・今日と岩間町の常磐林業跡地では、鎮魂祭というイベントが開催されておりました。昨日は午前中だけでしたが、消防団として会場の警備をしておりましたが、さすがにミゾレ混じりの寒空の下、訪れる人はあまり多くありませんでした。昨日、今日と会場に行ったウチの母親の話ですと、今日は天気も悪くなかったので、昨日よりもかなり人が来ていた模様です。そんなわけで今日は、今まで撮り貯めていた震災直後からの写真を少し・・・震災当日、古殿のお客さんのところから急いで自宅へ向かい、その途中で見た最初の光景。この時にはまだ、津波でこのような状態になったということを理解できずにいました。そしてやっとの思いでたどり着いたわが町は・・・ここで初めて、これが地震による津波でこうなったということがわかりました。この日、自宅のすぐ後ろの高台に避難したウチの父親は、ただ波に飲まれていく我が家を見ているしか出来ませんでした・・・我が家の玄関にはこんな流木が。家の中は当然しっちゃかめっちゃかです・・・海の近くとはいえ、少し距離があったので家の形は残りました。祖母が建てたこの家は、今37歳のヤマザキが生まれる前に建てたものなので築40年以上になりますが、未曾有の地震と津波に遭っても倒れることなく、2011.6/6に解体されるまでそこに建ち続けました。防波堤は根こそぎ倒され、岩間海岸の砂浜は小さくなってしまいました。各地から派遣されていた自衛隊の皆さん。ご尽力、本当にありがとうございました。わざわざ旅先の北海道から、北の恵みをたくさん送ってくれた友人も・・・恵み?(笑)とはいえ、これらも非常に助かりました。ありがとうございます。震災後、植田~泉間で放置されていたEast-i。常磐線復旧直前に勝田へ向けて自力回送されて行きました。宇都宮メンバーがいわき来訪の際にいつも来ていた小名浜の「うろこいち」残念ながら震災後は開いていません。湯の岳パノラマライン入口近くの山。写真じゃわかりにくいんですが、まるで山崩しゲームをしたかのような崩れっぷりです。津波を被ってしまったNゲージを若い仲間たちへ譲ることに。走らなくなっていた車両を修理し、運転会で走らせてくれました。今改めて考えると、なんか泣けてきます・・・末永く大事にしてやってください。まだまだ載せたい写真もありますが、長くなるのでこの辺で。とにかく今は、前に進むのみ。