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June 29, 2006
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カテゴリ:英国の事
今年もウインブルドンの季節がやって来ました!皆さん夜遅くまでNHK見ていますか!?


W杯の決勝を待たずに始まった今大会、土曜までのここ何日間、英国民は一時的にテニスに熱中している事でしょう。


ここ数ヶ月、W杯、F1、クリケット、ロイアルアスコット、ウインブルドンテニス、ヘンレーレガッタ等など、英国はスポーツ三昧なんですね。W杯は4年に一度だから毎年こんなに重なる事はないのですが、とは言え魅力的なスポーツが毎日の様に見られてそれはそれで嬉しいのです。


私にとってこのウインブルドンと言う響きは大変懐かしいもので、初めて知ったのは確か小学校3年生の頃だったと思います・・・




当時は空前のキャプテン翼ブーム!小学校のサッカーチームは3年生から参加が可能で、野球に興味のなかった私は友達と一緒に入る約束をしていた。

しかし叔父が全額補助すると言う条件で、何故かテニススクールに通う事になる。どうしてもサッカーがやりたかった私に親は

「1年間だけテニスをやらないか?」

と問い掛けて来た。

断れば断る事は出来たはずだ、だって小学生の夢を叶えない親なんていない。
しかし今ではその頃の心境をはっきりと覚えてはいないが、その誘いに見事に乗ってしまう。(笑)サッカーも魅力だが、テニスと言う未知の世界を見てみたい、ラケットと言う得たいの知れない道具を握ってみたい。小学生の動機なんて案外適当だ。

そして私は晴れてコートデビューを果たす。ご存知の方も多いと思うが当時のラケットはフレームがまんま木!で、それでもジュニア用で一番軽い物を渡された。メーカーは双葉?だったか、ラケットのお知りに7が施されているものだった。

白を貴重とした上下のテニスウエアに、白い靴下、これまた白いテニスシューズ。なんでこんなに白ばっかりなんだろう?と疑問に思ったものだ。それが当時のルールに繋がっている事なんて知らずに。

テニスのレッスン自体はそれほどきつい物ではなかった。それよりもそのテニスコートは山の上に位置していた為、そこまで歩いて通うのが辛かった。当時の小学生の足で40分はかかっていたと思う。それでも約束どおり1年間通い続けた。

なぜそんなにまでして通い続けたのだろう?今となって思う。結局当時はそれほど面白みも判らなかったし、テニスの王子さまじゃないんだから、1年やそここらで上手くなる物でもない。ただ、ただ親の期待を裏切らないように、そう思って続けていたのかもしれない。私は小さい頃からそういう事を考えて行動する子だった。

レッスンは1時間位だった記憶している、素振りから始まり、球出しをしてもらって打ち返したり、ラリーをしたり、最後にはミニゲームをしたり。一番面白かったのはコートのある場所に4つのボールで山を作り、打ち返したボールがそれに当たったら、コーチがジュースをおごってくれると言うゲームだった。確か一度だけそれに当たった事があった気がする。あんなに当てたくてしょうがなかったあの山に当たった瞬間、案外当ててみるとそうでもなくてがっかりしたのを覚えている。(←目標を失った人の図)

レッスンの後、たまに母親が迎えに来てくれる事があった。その時はとても嬉しかったのを覚えている。何よりも帰り車で帰れるって事と、ジュースを買ってくれたからだ。そんな時必ずと言って良いほど、当時はビンに入ったリアルゴールドをシブク飲んだものだ。なぜリアルゴールド・・・

そのテニスコートの近くには高級住宅街があり、ほとんどの生徒はそこから通っていた。当時私のように40分もかけて山の下の中流家庭から通っていた子はいなかった。生徒の中には同級生も何人かいた、でも何故か当時彼らを自分より上だと思っていた自分がいた。なぜだか。

何人かいた同級生の中に、小さくてかわいくて上品で目がくりっとした女の子がいた。当時のボキャブラリーでは、もうどうにも形容しようがないくらいかわいかったわけだ。(笑)彼女はお姉さんと一緒にレッスンを受けていた。

今思えばある意味無謀だと思うのだが、当時結構な幅の年齢の子供達が同じレッスンを受けており、下は小学校1年から上は中学生まで、同じ玉を追いかけていた。ここからも当時、テニスと言うスポーツがどれくらいマイナーだったかをうかがえる。

小学3年生ともなれば、恋くらいはする。その対象が近所のお姉さんだったり、担任の先生だったり、同級生だったり色々だと思うが、私はその子が気になっていた。

毎日会う同じ学校の女の子と何かが違って見えた。さっきの話ではないが、明らかに上に感じだ。言ってみれば山の手のお嬢さんだったわけだ。ボールを打つ姿の背景が常にお花畑だった。(笑)

結局彼女とはたまーーーにお姉さんと離れている時だけ、つまらなくたわいもない話をした。そして私と親の1年の契約期間が終わり、彼女ともまったく会わなくなった。この話には続きがあって、彼女とは中学校で再会をする。1年の時に同じクラスになり、2年の頃に交換日記のすえ交際を始める。(笑い、わ若いなあ・・・)中学を卒業する前には残念ながら振られてしまうのだが・・・

話はだいぶ外れてしまったが、そのウインブルドンという名前を知ったのはそのテニススクールに通っていた頃、レストハウスには「スマッシュ」と言う雑誌が置いてあった。なんせ40分もかけて通っていたわけだから、たまに早く着いてしまったりする。その時ペラペラとその雑誌をめくっていて、目にとまったキーワードだったわけですウインブルドンは。

当時はテニスファンならずとも知っているボルグ、コナーズ、マッケンローなんかが全盛で、みんな彼らのファッションを勘違いしながらも真似していた。同じレッスンを受けていた小6の女子なんかは、マッケンローがどうのコナーズがどうのと話していたんですが、当時の私はそのテニスの聖地ウインブルドンと言う言葉になぜがひかれていたのだ。それから何十年後にそのウインブルドンがある国に訪れる事など夢にも思わずに。

あの時1年の約束を2年、3年と延ばしていたら今頃はどうなっていただろうか?有名テニスプレーヤーになって一回くらいはウインブルドンで優勝していただろうか?いや、ありえない、ただ単純に小学校のサッカークラブに入る時期が遅れただけだっただろう。

晴れて4年生になった私は念願かなって、ラケットからサッカーボール、テニスウエアからサッカーのユニホームへと持つ物も着る物も代え、翼君に近づくようサッカーに熱中した。しかし1年遅れのハンディーに負け、レギュラーになるでもなく、中途半端なまま小学校でサッカーを止めた。約束をしていた友人は当然の様にレギュラー、中学に入っても部活を続けた。あの頃は親を少しだけ恨んだ。

結局どっちも中途半端。私の中途半端癖はここから始まっているのかも知れない。テニスをやっていて良かったなと思ったのは、それから何年も後に入った大学のお茶らけテニスサークルで、誰にも教わらずにそこそこやれた事くらいだ。

そんな私が始めてウインブルドンで試合を見る日が近づいている。あの頃気になっていたあの場所へいよいよ足を踏み入れる日がやって来る。もしコレが実現したなら、この話に花を咲かせ「終わり良ければ全て良し」と、きれいな話になるかも知れない。

今日は長すぎですか、そうですかそうですか。以後気をつけます。(礼)





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Last updated  June 30, 2006 08:05:27 AM
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