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京都に憧れる男性は必ず思います。
「ああ、一度御茶屋遊びをしてみたいなあ」。 懐具合が許さなかったり、奥様が許さなかったり、さまざまな障壁はあるでしょう。 百花繚乱の芸舞妓さんと同じお座敷でお酒を飲み、興じてみたいのは女性の私でも充分気持ちはわかります。上七軒などはしょっちゅう通る生活圏の一部なのですが、芸舞妓さんとすれ違い様にあの白粉の香がふっと過ぎるだけで、うっとりしますね。 かなわぬ願い。一度でいい、祇園でモテてみたい。 ところが、一度のみならず、あの世に行ってもなおあの祇園でモテモテの男性を御存知ですか? 「かにかくに 祗園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」 これは白川南通巽橋に建てられている歌碑です。 皆様は、吉井勇という歌人を御存知でしょうか。 余り馴染みがないかもしれませんが、京都とくに祇園とは切っても切れない人物です。1886年東京・芝、吉井勇は伯爵家に生まれ育ちました。早稲田大学在学中、『明星』に歌を発表し、北原白秋らとともに注目されます。のちに坪内逍遥に認められ、戯曲家、脚本家としても名を上げましたが、一時私生活における事件などあって高知に隠棲し、復帰後は京都に住みました。祇園の花街をこよなく愛し、廃れていた祇園おどりも吉井の尽力で復活しました。 古稀記念には、冒頭で紹介した歌碑が白川畔に建立されました。 しかしまもなく1960年、74歳で肺ガンのため死去。最期のときを京都で過ごしたのです。馴染みの芸妓が「なんで菊の花になっておしまいやしたんえ」と嘆いたと、谷崎潤一郎が伝えたといいます。 毎年この日11月8日には祇園甲部の芸舞妓が勇をしのぶ「かにかくに祭」が、今日でも行われています。祗園の芸妓・舞妓らの白菊の献花や、お点前の披露が行われます。 いつまでも、祇園の美しい芸舞妓さんに慕われる吉井勇って、きっと情熱的で粋がわかる、女心を掴むダンディな人だったんでしょうね。 吉井が隠棲した高知のゆずと焼酎で造った菊水酒造の 「【お肌に優しい】コラーゲンゆず梅酒 」 を頂きながら、祇園の芸舞妓さん気分になりたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月09日 01時14分20秒
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