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自分のゲストブック上にて、自営業の方から
「日記に書かれるサラリーマンの日常や同僚との会話が自分にとっては新鮮」という言葉をいただき、嬉しかった。 この日記を始めた時、 「日記といえどもWeb上で人様に向けて書くからには何らかの意図を含んでいるわけであって、ほんと~に“ありふれた他愛も無い日常”を書いても仕方が無いんだろうなぁ」 と思っていたし、 実際に日記を書く上でもなにがしか面白げな事を書かなきゃいけないような気がしていたのだけれども、 物事はたとえ自分がどんなにツマラナイ事かと思っていても、とりあえず表現してみること自体に意義がある-のかも、知れない・と思った。 そんなこんなで、今日も番傘かざしてご出勤。 しかし、車から出る時に傘の端をドアの角に引っ掛けて、ちょっと破ってしまった(T_T)。 …ここから水がじわじわ染みて、“破れ傘”になっていきそうな予感。 土曜日に有給を取った後輩が来ていたので、休んだ理由を聞いてみると 「いや、ちょっと用事があったもンで。」と言われる。 …くくく、 「誰だって、毎日用事のひとつやふたつ抱えているわよゥ!そんな、まるで世界中で自分ひとりだけが用事のある人みたいなクチ聞かないで頂きたいわよゥ!!」 -と喉元まで出掛かったのを飲み込んで、 「…有給は就労者の正当な権利だけれども、あんまり頻繁に休みを取るのも社会人として無責任な行為だからして、よくよく考えて使ってくれよな」と伝えておく。 なんだか玉虫色なコトバになってしまったので、今にしてみるともっとはっきり言ってやったほうがよかったのかなぁとも思う。 自分達の世代はわりと目上から叱ってもらえたと思うのだが、 いざ自分達が率先して人を率いねばならない年頃になると「自分達がしてもらった様には人を叱れない(厳しくできない・指導できない)」というジレンマを感じる。 以前読んだ本(シンクタンクの研究員が書いた、『新人類、親になる』というタイトルの現代人の親子関係を問うた本)にこんな記述があった。 -“わがまま”を“自由”と読み違えて育ってきた団塊の世代とそのジュニア達は、もはや正常な親子関係を築けなくなった。 親は子に嫌われるのを恐れ、大人としての責務を果たさずに子供と“まるで友達みたい”に付き合っている。 かつての大人は子供じみたモノを口にしたり、子供じみた服を身に着けたりしなかったものだが、現在では大人が子供と同じような物を口にし、子供と同じ服を着れる事を喜んですらいる- -この記述を肯定するにはいささかエキセントリックすぎる面もあるとは思うが、 “人に嫌われるのを恐れて人を叱れない”というのは親子関係に留まらず我々の世代全般に言える事のように感じる。(成人した後のいい大人が、いつまでも“オトナコドモ”を続けているという事も。) あるいは、そんな事はかつてから延々連綿と繰り返されてきた事で、今になって自分達に“最近の若いヤツは”を演じる順番が巡ってきたダケ…なのかも、知れないが…? …結論出ず(^_^;)。 また長文書いてもーた。 -後輩連に、土曜日の合コンの戦果を聞くのを忘れていた(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2002年01月23日 21時09分33秒
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