2008/09/03(水)16:52
「躾」、親としてたまには激しく怒らないとあかん。
つい最近、まもなく21歳になる長男を殴りとばしました。
理由は他愛もないこと、しかしその言いぐさにプチン。気持ちを抑えながら説教するも、
おろかにも尚正論とばかりの反論で、
ついにプチン、プチン、プチン。
結局殴り飛ばしてしまいました。
良いのか悪いのか日頃から武道をやってきたせいか、
いざとなると手が出る足も出る。
しかし、そこは大事な長男、
拳を瞬間、掌底に変えて怪我をしない程度の発勁でふっ飛ばし、
防御をとったのを確認してから手刀と蹴りの連続技。
それも剛拳ではなく柔拳。まもなく次男坊が止めに入って 止めましたが、
長男がもし反撃していたら、
その数倍は無条件に体が反応でただ事では済まなかったことでしょう。息子の論法も理解できないではないですが、その上に忠孝あり。
小手先の論法よりもっと大事なものがある事を教えるのが家長の使命。
大事な息子たちが間違った理屈や邪教に嵌り込むぐらいなら、
命を賭してでも体罰を以って制します。その後は、なぜ怒ったかを本人が理解するまで説教。
大事な長男を手を出したのはこれで2度目、一度目はまだ幼児の頃。
弟が出来てやきもちを焼いたのか何度もいじめを、
最初は注意だけしていたのですが、
泣いてる次男坊を踏みつけていたのを投げ飛ばし。
その後はとても仲の良い兄弟です。あとで、止めに来た次男坊は褒めておきました。
それこそ家族愛、家族の益を考えての行動。 たまたま家内は出かけていたのですが、
おばあちゃんは出て来ず。日頃から最近の親は子供を怒らな過ぎる。
大事にし過ぎるとなめるだけ、躾が全くできてない。
嫌われごとは親が言わなければ誰が言うのや。
16までの教育は母親の責任、
16からは父親や、特に男の子の場合はもってのほか。たまにはガツンと父親がシバキ飛ばさなアカンが口癖。ただそのときはいつも「愛護」の精神だけは忘れないようにしたいものです。