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カテゴリ:ただそれだけのこと。
ちょっとした「いざこざ」であるはずのものが大きな論争になりわけがわからなくなっていることがある。 本来の「何が問題であったのか?」ということを話し合わなければならないものを『自分側の主張』ばかりが表に立ち『相手の気持ち(話)』に関してはあまり目が向けられないパターンで争っている場面をよく経験する。 なんだか「それはちがうでしょ」ってな突っ込みを昨今のメディア関連に限らず私の周囲でもよくするんですが、最近、富に頭に血が上るとどうしても「周囲が見えていない」状況の方が多い。(もちろん私もややもするとそういうことになることもあるのだが・・・。) 確かに「主張」は大切なのだがひとたび問題になってしまったからには「解決策」を探さなければならないわけなのだからそんなものは『二の次』である。物事の流れを振り返り再び問題にならないように『何が引き金』なっているのかを見据え『二度と同じ事をおこさない』ことを皆で確認するべきだ。 「何が問題か分かっていない解決」をおざなりに治め、「二度としないようにしましょうね」なんて言い合うことは至極簡単で簡潔であるが、必ずといっていいほど『同じこと』は何らかのサイクルで起こるものだ。それは「原因が分かっていないから」 とにかく上から見ている人や「対岸の火事」の人はめんどくさいからなのか、かなり適当な返事をしてくれるものだ。しかし、いざ自分に火の粉が降りかかったときには 「なんでそうなるんだよ」 なんてなんだか笑う台詞をきくことも「しばしば」だ。何てことは無い、あなたが関心がなかったからですよ。(そのときに親身に考え・行動することをしなかったから)てなもんだ。だから仕方ないよね、あとの祭りだ。 要は一時期ブームにもなった事もある「気配り」が色んな場面でみられない。 フリーダム なのは結構だが「身勝手」と「はきちがえている」のでは何だか悲しいし愚かだ。何か他のものに害を及ぼしていないかはちょっと考えてみればわかるはずだと思うし周囲の反応はあからさまだ。それが大事になる前に『軌道修正』や『気付く事』が大切だ、同じ事を繰り返しているようだが(笑)とにかく本質・根幹にある問題が何であるかを理解・対処をしないことには何も解決にはすすまないし何度も繰り返される。そういうことだ。 ああ、なんだか自分でもうまくまとめられていないような気がするが、とにかくなにか問題が起きた際には「何が引き金を引くのか」を見据えないからには何も問題は解決しないしすすまないってことをちゃんとココロに持っておきたいねてなことだろうか・・・・だめだ・・・・うまくまとまってないし、何が言いたいのかわかんねぇや・・・・ でも最近私の個人的な問題が大きく変革(改革)されたので気分がかなりらくになりました!!とにかく久しぶりの連休を楽しんでみたいと思う。ふふふ。すみませんねなんだか変な記事で・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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