グレーナイト

2005/11/09(水)11:25

靖国参拝賛成が、なぜ論理的に破綻か?

政治、社会問題(62)

靖国に現役総理が参拝する、 この行為が、「心の問題」として必要なのか、それとも、「形の問題」として必要なのか? 参拝賛成という方は、まずそこを明確にすべきでしょう。 もし、「心の問題」として必要だというのなら、国内的にも、ややこしい論点が存在し、かつ、外国の反対ということもある状況下では、徹底的に私的な参拝に撤するべきでしょう。 つまりは、今回、小泉総理が行ったような「私的参拝」を、もっと突き詰めたような形式をとるべきでしょう。 報道にも敢えて知らせず、それこそ、夜中や早朝に、本当にこっそりお参りして、後日、そのことを、報告する。。。 いや、場合によっては、報告しなくてもいい。 そこまで撤するならば、唯一の可能性として「あり」かな、という気が、私はしています。 もし、「心」ではなく、「形」の問題として必要だというのなら、これは、賛成派の方にとっては、極めて論理構成は、難しくなるでしょう。 なぜなら、日本が、サンフランシスコ講和条約に由来する、「A級戦犯に、戦争責任を負わせる」という行為そのものが、実は、当時、日本の指導者たちが選択した「形」だったからです。 A級戦犯には、それなりの、いや、大きな戦争責任があったと、私は思います。 ただ、これに関しては、この際別問題です。 そういう本質的議論とは別に、日本国は、A級戦犯に、戦争責任一切を負わせて、天皇を守る、という結論を、選択したわけです。 これは、あくまで「形」としてです。 ならば、本音、心の部分でどう思おうとも、 その「形」は貫かねばなりません。 その「形」とは、「A級戦犯に戦争責任がある」という結論であり、そのA級戦犯が祀られる神社に現役総理がお参りするという行為、この行為に、先の被侵攻国が反対する以上は、見送るべきでしょう。 何度も言いますが、「心」では、別の行為をとったとしてもです。 これは、言ってみれば、日本人独特の、「本音と建前」に基づく、そもそもが選択肢であったといえるかもしれません。 日本人は、「建前」で天皇制を守ったわけですから、その「建前」の中で約束したことに関しては、最低限、「建前」上は、順守しないといけないでしょう。 だから、現状で、天皇が、靖国参拝など、できるわけがないのです。 また、現役総理も、天皇に準ずる拘束を強いられることを、自覚すべきでしょう。 私も最近知りましたが、A級戦犯が起訴されたのは、前天皇の誕生日、処刑されたのは、現天皇の誕生日だそうです。 このことが、まさしく、アメリカの、「日本人の「建前」を重んじることを認めてやるかわりに、これは、あくまで「建前」なんだぞ」という意思表示、ではないでしょうか。 もちろんアメリカにとっても、日本人の建前を守ってやることが、大きなメリットがあったからに他ならないわけでしょうが、それは、別問題です。 だから、賛成派の方の中で、時々見られる理屈、、、「日本は、皇室の国なんだから、神道が優遇されて当たり前」というものは、数ある理屈の中でも、最も陳腐なものに、私には映ります。 「A級戦犯を、Aクラスの戦犯と認めることによって、その「皇室の国」が守られたことに、思いを馳せろ」ということです。 そういった歴史的背景をわかった上で、靖国参拝賛成ですか?と、私は聞きたいわけです。

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