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この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち

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Nov 3, 2008
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フランク永井氏、逝く。
昭和、或いは戦後というくくりで振り返ると、まだラジオから流れる歌謡曲が大きな位置を占めていた30年代、ご本人の歴史から言っても、進駐軍、クラブ歌手、ムード歌謡と、戦後が覚めやらぬ彩りのことばにも溢れる。

ことにそのヒット曲「有楽町で逢いましょう」は、筆者にも身近な歌ではあった。なによりヒット曲はほとんど必ず歌謡ドラマとして映画化されるのが当時の習い、そのまま「有楽町で逢いましょう」('58)として大映で映画化され、 京マチ子、菅原謙二、川口浩、野添ひとみ、叶順子という懐かしき面々、監督はプログラム・ピクチュアで信頼すべき腕を振るった島耕二、フィルムがまだあるのかないのか定かではないが、色褪せていなければ秋野友宏のカメラがいま思い出の中でも印象に残る、これが多くの歌謡ドラマの中でもドラマの中身も元気の出る、限りなく上位にある出来栄え。

そのフランク永井、'85に自殺未遂以降はリハビリに明け暮れていたようだけれど、原因となった愛人とのあいだに出来たとされる子供の認知騒動はDNA鑑定で関連性なし、ということで災害そのもの。有名税というには余りに気の毒な晩年。
吉田正メロディのエースも人生の災禍には脆かったということなのだろうか。どのラジオ局でも流れていたあの歌この歌、その時代はまだ貧乏がふつうの世帯のありよう、これでまた昭和はさらに遥かなり。
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Last updated  Nov 4, 2008 03:47:50 AM
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