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●このサイトは僕、松本夏生の文芸サイトです。サイトのタイトルはポール・オースター大先生の長篇小説「IN THE COUNTRY OF LAST THINGS」から頂きました。ものすごく暗いんだけど、渦巻くような希望を感じさせてくれる素敵な作品で、翻訳で100回ぐらい、原書で10回ぐらい読みました。アメリカの小説なので、やっぱり、英語で読んだほうがその精神は理解しやすいです。
●左下のフリーページというところに、長篇が二編と短篇がいくつか、ありますので、時間のある限り、見ていって下さいまし。 その中のお勧めは、 「浜辺のキャッチボール」、世紀末的純文学「旅立ち」、「祈り」 ・・・の三作です。 「旅立ち」は単行本化されていますが、全て僕の家にあるため、もし、手にとって読みたくなっても、書店での注文ができません。でもだからといってあきらめてはいけないのですよ。 何故か、 その1 「旅立ち」は楽天ブックスに一冊あります。(1260円です。すみません)、なので、取り寄せて読んで下さいませ。 その2 千葉の公立図書館にあります。 千葉市市立図書館(のどこか) と 千葉県立図書館(のどこかで) 読むことができますので、どうぞご利用下さい。市立も県立も一冊ずつしかないので、下記の検索条件でカウンターで聞いて、探してもらって、読んで下さいね。でももしかしら、既に廃棄されていて、ないかもしれませんので、そのときはごめんなさい。 その3 聖トマス大学の方へ 英文科の井田先生がお持ちです。先生に借りて読んで下さいね。 その4 実にいろいろな方にあげたので、どこかおブックオフに一冊ぐらいある可能性もあります。運良くみつけたら、知らせてね。拍手してあげるよ。 小説単行本「旅立ち」検索条件 書名「旅立ち」 著者名 松本夏生(まつもとなつお) 出版社 講談社出版サービスセンター 出版年 2000年11月 ●フリーページの一番下の欄に「松本夏生年譜」をアップしました。どこで何の映画を観たとか、いつどんな芝居をみたとか、一見して創作とは無関係のことばかりですが、全て僕の創作の源泉です。作品理解のために、どうぞ。 では、最後まで楽しんでいってね。
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僕は兵庫県尼崎市にある、聖トマス大学というカトリックの大学の卒業生である。
83年に入学すると僕はすぐにラグビー部に入り、毎日のようにグランドで汗を流していた。一日の講義を終えた後で、午後の陽光を全身に浴びながら、身体を動かすにはとても楽しかった。ラグビーというスポーツはこれが何々であるという公式にあてはめることのできないとても不可思議な競技だった。楕円形のボールは常に僕の意図しないところに存在し、フォワードの一番だった僕はそのボールを自陣に奪うために、スクラムを押し、グランドを走り回った。練習や試合のあとは、身体がくたくたに疲れたが、その後で、みんなでわいわいいいながら、飲む酒はとてもおいしかった。 だが、それも夏までのことだった。秋になってある問題が生じたのだ。僕のクラブ内での行為を快く思わないある先輩が、僕にある提言をしてくれたのである。それは一人やふたりではなかった。かなりの数の先輩が僕の行為を快く思わず、僕に提言を与えた。それはどういうことに関するか、今となっては記憶にないが、恐らくそれは練習に関することだったと思う。ラグビーというのは、15人でやるものなので、一人だけ勝手にやっていいものではない。それがたとえ、練習であっても同じことである。 だが、僕は先輩達の提言をはねつけ、その後も自分勝手な行動を続けた。その結果、練習も一人でやることが多くなった。練習の最後にフォワード全員でスクラムマシンを押し、スクラムを押す練習をするのだが、一番をやっていたのは、いつも二回生の先輩だった。試合にでられると聞いて、出かけた試合で、15人の中に僕の名前がなかったときがあった。ブレザーを着たままで、僕は呆然として、その試合をみつめていた。本当は出ることのできる試合に出られないと思うと、何故か涙が溢れて仕方がなかった。だがそれを慰めてくれる人は誰もいなかった。 練習でも試合でも僕はいつも一人だった。ついこの間まで僕と一緒に笑っていた、同学年の男も僕のそばには来なくなった。彼はいつも遠くから僕の顔をうかがって、とても淋しそうな顔をしていた。それは彼が今までに見せたことがない真剣なものだった。 そういう状況だったので、僕は11月のリーグが終わる前にクラブをやめたいと、ある日キャプテンに言った。彼は僕と同年齢の、スタンドオフを務めていた男性で、僕の話を聞くと。こういった。 「お前の話はわかった。だがな、それは少しまちがってるんと、違うか。それはひきようや。もし、お前が言ってることが正しいんなら、途中でやめんと、最後までいたらどうやねん。でもな、それはきついかもしれんな。おまえはできるかどうかわからんが、みんなに、自分が悪かったって言うて、それで最後までいて、やめるかどうかはそのあとで決めるのが一番ええんちゃんか。」 その先輩の顔は神父のようにとても笑みに充ちていて、優しいものだった。だからかもしれないが、僕はその晩よく、考えて、翌日、みんなにあやまることにした。ぼくと、みんなの間に、その先輩がはいってくれて、僕はみんなの前で、丁寧に頭を下げて、あやまった。 その後、僕はラグビー部をやめなかった。というよりは、翌年にはラグビーが大好きになり、練習がない午後や日曜日に、一人でボールを蹴ってグランドを走ったり、一人でスクラムマシンを押したりしていたのである。実際に夏の合宿で骨折をして、その後やめることになってしまったが、骨折などしなければ、卒業まで続けていたかもしれない。 その出来事からもう既に25年になろうとしているが、そのときのことを思い出すと、とても懐かしくなる。大学のラグビー部だって立派な組織である。それを運営していくためには、お互いがお互いにとって、公正な方法を考えなくてはならない。もちろん、学生がやっていていて、ひとりひとりはみんな違っているのだから、これをこうせよと、強制はできない。だがみんなで日々同じ目標に向かって努力し、自らを高めることはできるはずだ。そのためには、少しはきついことも我慢しなくてはならないのだ。 だが、最近になってわかったのだが、そういう風に個人の存在を尊重して、丁寧に接しているころは、日本にははっきりってあまりない。個人の存在を尊重するところは、はっきりいって、キリスト教の教会か、その系列の学校ぐらいである。要するに大多数の日本人は自分勝手なのである。これは本当のことである。 もっとわかりやすく言えば、大多数の日本人は自分の意見だけが正しいと本当に思っているし、考えている。だから自分以外の誰かに反対意見を謂われと怒ったり、警察に通報したりする。反対意見というのは、批判というのは、とても重要なものであるという概念が大多数の日本人にはない。 その理由は学校教育にあると思う。外国の高校には討論なる時間が存在していて、それに参加すれが自分の意見というのは、そこにいるひとの何十分の一でSかないことがわかるはずだ。だが、そういう機会がないと、常にあたまの中は北朝鮮のトップのように批判を許さない存在となる。 この問題はとても大事なことなので、以後も考えたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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