サクセスストーリーにあらず
風林火山 第50回 「決戦川中島」_泣けた。 (TдT ) マジ涙で画面が見えません。今回ばっかりは、何書けばいいのか分からないですけど何か書きます。とりあえず。このドラマの主人公、勘助は決して成功者ではありません。脚本の大森寿美男氏の言葉を借りれば、サクセスストーリーではないということです。弱さや醜さも備えた人間・山本勘助としての生き様、戦国時代の人々が何を想い、生きたのかが描かれています。『生きた、愛した』のサブテーマにふさわしい話でした。勘助の死、という形を以って迎えられる今回の話も『戦争の結末』という歴史的事実よりも人々の想いに重きがあるように思います。勘助の間際にさえも、それが描かれていたのではないでしょうか。いやもう理屈なんかいらないですね。正直に感動しておこう。素晴らしいドラマでした。1年間見続けて、本当に良かった。――――――――――――――――――――以下は考察です。蛇足駄文。甲陽軍鑑は色々と怪しいのですが、キツツキ戦法が史実だと仮定して話を進めます。これまで奇策の失敗の可能性について、何度も語りました。戦争では、何よりも「安定した力」が大事であることも述べましたがここにおいて示されることになります。川中島の合戦は高度な「読み合い」による戦いだったと言えます。数で劣る上杉側は、まともにはぶつかれません。しかし山に篭り過ぎれば、糧道を断たれる危険性があります。一方で数で勝る武田側は、敵が自軍の動きを丸見えできることに決定的な攻め手を欠きました。このことからお互いに状況を打開する「策」が必要になっていました。そこで先週の話になるわけですね。ところが結果は話の通りとなります。振り返ってみると、キツツキ戦法には失敗的要素がかなり含まれています。ひとつ目の弱点は、1万以上の軍勢を山に登らせていることです。大軍を動かすとなると、霧でなくとも察知されやすく動きも緩慢になります。もうひとつは本陣の場所です。奇襲で山から追い落とすならば、川を前にして布陣しなければ待ち伏せの効果がありません。というのも、原野戦を仕掛けるより、川に足をとられているところを討ち取る方が効果的だからです。実際の布陣は前に出すぎ、あるいは後ろ過ぎます。この2つの要素は大きすぎます。(本陣の方が少ないとか、兵力を二分してること自体が失策だとか 根本的なところで失敗していますが・・・。)これまで述べたように、奇手は危手です。数で勝る武田は正面衝突に持ち込めば、安定した戦いができたはずです。逆に言えばそれをさせなかった上杉側が上手だったと言えます。キツツキにしても、上杉相手でなければ間違いなく良策だったでしょう。これらは強者どうしだからこそ生まれたドラマです。これがあるから歴史好きはやめられないですね。風林火山リンクで色々助言くださった方々、ありがとうございました。『篤姫』でお会い・・・するんでしょうか?w