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2018.07.08
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ウィーンには洋菓子の製造販売を専門とするお店の他に自家製のケーキで有名なホテルやカフェがあります。その一例が、「ホテル・ザッハー」。

このホテルの名前がついた ”ザッハートルテ” はすでにチョコレート
ケーキの代名詞として一般的に使われていますね。ケーキ誕生の裏には、オーストリア宰相をつとめたメッテルニッヒが関係しているようです。

メッテルニッヒといえば「会議は踊る、されど進まず」といわれたウィーン会議の立役者として知られる人物。画像をお借りしました。


                    

この会議のために作り出されたケーキではなく、ウィーン会議が終わって15年以上が経っていたある日。
メッテルニッヒは自分の館で開かれる晩餐会のために、特別のケーキを作るよう料理長に伝えます。

たまたま体調を悪くしていた料理長に代わって、この「命令」を受
けたのが、まだ見習い2年目だった16歳のフランツ・ザッハーでした。
フランツが創意を凝らして作ったチョコレートケーキは大好評を得て、それが現在のザッハートルテの原型となったのだそうです。

                       

フランツはウィーンで店を開いて、息子夫婦とともにケーキのさらなる改良につとめます。
その息子もまた父親にならって料理人となり、レストラン兼ホテルは大繁盛するのですが。
49歳で他界してしまうと、妻のアンナがその後を継いで40年近くに渡りこのホテルを経営しました。

こうして、ホテル・ザッハーの名はアンナの功労で確立されますが、彼女の亡き後、数年で倒産。息子は仕方なく、当時、
宮廷御用達の菓子司であった「デーメ
ル」で働き始めます。
その店でザッハートル テの製法を完成させると、またホテルを再興。大きな人気を呼びます。

この ”ザッ ハートルテ” の商標と独占
販売権をめぐっては、1950年代にデーメル店との法廷闘争が。
結果としては、
両店が別々の呼称を使うことで決着しました。
皮肉なことに、訴訟問題があったことからザッハートルテの名がよりいっそう広く知られることになります。

180年近くが経った今でも、製法は一切秘密とのこと。

36ある製造段階では、包装にいたるまでひとつひとつをすべて手作業で行っている、ヨーロッパの職人気質が生きています。


                      
                       ホテルテルザッハー




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最終更新日  2019.02.02 22:14:37
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