◆私のブログを紹介します。 【その3】【6】【7】 ■エピソード(No.1):第一次石油危機のころの私エージローの鮮明な記憶 ■〈証言そのとき〉商人魂燃ゆ:5 石油危機と初PB商品 -asahi.com 2014年2月10日00時09分 ■イオン名誉会長 岡田卓也さん 第4次中東戦争が起こった1973年10月の朝、関西のある店の店頭に立っていました。 お客さまの列は100メートル以上つづき、みなさんは、とても険しい表情をしていました。 10時の開店、いっせいに店内に押し寄せ、われもわれも、と奪い合う。 トイレットペーパーだけではなく砂糖も洗剤も、またたく間に売り切れる。 お客さまのそんな姿を見て、思いました。 「できるだけおおくの方に、すこしでもお配りしたい」 と。 店の営業が終わってから、従業員たちといっしょに、メーカーから仕入れた、大袋にはいったままの洗剤を、 小さな袋に詰め直しました。 しぶきがかかってもいいように、水中メガネとマスクをしながら、徹夜の作業です。 そうして翌朝、小袋を売っていく。 ひとりでも多くのお客様に、少しでもお届けしようと必死だったのですが、それでも、あっという間に売り切れてしまいました。 さらに、価格高騰が続いていた砂糖、しょうゆ、マーガリンといった生活必需品の価格を下げる「値下げ・価格凍結宣言」を発表するな ど、必死でした。 ■風評各地に飛び火 ――(Q)アラブ諸国が石油輸出を制限したことで、第1次石油危機が起こった。 大阪の千里ニュータウンで、トイレットペーパーがなくなる、といううわさがたつと、その風評が各地に飛び火した。 それまでは1パック100円台で売っていたトイレットペーパーを、400円ぐらいで売る小売店もありました。 国会でも大問題になり、わたしも参議院の部会に呼ばれました。 議員の先生方から 「スーパーが値段をつりあげているんじゃないか」 と突き上げられました。 わたしは、チェーンストアの代表として、こんなふうに反論しました。 「当社の社員は、自分では買わず、値上げせずにお客さまに提供しようとがんばっているんです」 そして、当時、スーパーを揶揄(やゆ)していう表現をつかって続けました。 「先生が言われているスーパーは、スーッと来てパーッと消えるような店のことを言っているんじゃないですか」 さて、モノ不足の風評を消すために当時の通産省紙業課がとった作戦は、実に見事でした。スーパー各社ごとに店を指定し、トイレッ トペーパーを天井まで積み上げたのです。 ジャスコは、兵庫の川西店が指定店舗でした。 夜中のうちに、メーカーからトラックでトイレットペーパーが運び込まれ、フロアいっぱい、天井まで積み上がりました。 朝、お客さまがお見えになります。 天井まで積み上がっているのを見ると、「あわてて買わなくてもいいじゃない」と安心される。 それが口コミで伝わって、騒動はおさまっていきました。 ■流通革命の実現へ あの石油危機のとき、カップ麺をめぐって、日清食品と闘ったこともあります。 日清がカップラーメンを100円から130円に一方的に値上げしてきたのです。 ジャスコは、抗議するために日清との取引をやめました。 そして、協力してくれるメーカーと、ジャスコのカップ麺、「Jカップ」を売り出しました。 日清の商品にはついていたプラスチックのフォークを省くなどして、価格を85円にしました。 日清さんとの取引が正常に戻るには、2年ほどかかりました。 三菱商事さんが「いつまでもけんかをするなよ」と仲介に入ってくれて、社長だった安藤百福さんと和解したのです。 ――(Q)イオンにとって、Jカップは、PB(プライベート・ブランド)の初めての商品だった。 バブルが崩壊した80年代以降、大手スーパーはPB開発でしのぎを削ってきた。 安さを武器に、消費者に浸透していった。 いま、イオンのPBは「トップバリュ」というブランド名で展開しています。 PB商品の開発に力を入れてきたのは、消費者がほしい価格で買う流通革命を実現するためです。 大手メーカーの食品を例にとると、小売店に届くまでに、問屋を介します。 しかも、三カ所も経由するケースもありました。 それぞれの段階で、中間的なマージン(利益)が上乗せされるので、商品価格は高くなります。 小売店側が零細だったときには、商品を少しずつでも確実に店頭に並べられる問屋制度は、欠かせないものだったでしょう。 でも、小売店が大きくなって力をつけると、一度に大量の商品を注文するようになります。 そして、協力メーカーと直接取引できるようになったのです。 中間マージンが必要なくなり、それだけ安い商品を提供できます。 メーカーが握っていた価格決定権を、小売店が握りはじめたのです。=肩書、組織名は当時(聞き手=編集委員・中島隆) (了) この記事の中の第1次オイルショック(石油危機/昭和48年)のころの記憶については、今でも生々しく鮮明な記憶が蘇(よみが)え ってきます。 昭和48年4月、大学卒業と同時に、4年間住んでいた三重県の津市上浜町の下宿(藤枝荘アパート)を引き払い、大阪へ帰り、東証一 部上場企業の創業300年の老舗の製薬会社に入り、大阪・道修町(どしょうまち)の本社 開発部門で働き始めて間も無いころのこと でした。 アラブ諸国が初めて石油の輸出を制限すると発表したため、日本および関係諸国はパニック状態に陥り、TVも連日この緊迫したニュー スを流したため、第1次オイルショックが起こったわけで、「昭和元禄花ざかり」と謳われたころのことであり、その高度経済成長期 (1954~1973年)のさなか、当時ずっとインフレ状態が続き、1年定期の金利(利息)、つまり公定歩合が8~9%ぐらいで推 移していました。(上図参照) 給料も上がるが同時に物価も同じように上がり、また、企業にとっても、何を作っても売れるといういい時代でした。 団塊の世代で昭和24年生まれの私エージローは昭和33年の8月末ごろ、小学校3年生の夏休みが終わりかけるころに、本籍地である 笠岡から一家5人で山陽本線に乗って大阪に出ました。 鉄鋼・造船・海運が構造不況業種に指定される以前の好景気のころで、父(1992年他界)は五男二女の末子(第七子)でしたが、祖 父初五郎(またの名を権松または初市 M5生、妻はマツまたの名をタキ M10生)と相談し大阪に出てひと旗挙げようと青雲の志を抱 いて、三男(T2生)は外務省に就職して奈良県庁に籍を置いていた(注1)ので、勉強家、努力家で教育熱心、負けず嫌いで達筆で体 格のいい五男の父(T7生)は鼻息も荒く一家を率いて元気に母方の祖母宅に移り住んだのでした。 (注1)三男(T2生)は戦時中は台湾に駐在し、戦後は長年大阪で夫婦で文房具店を営んでいて H6(1994)年に他界しました が、子宝に恵まれなかったため、終戦直後から始めた大手家電などの株券や店舗・住居などの家屋資産を巡って遺産相続問題が発生し、 平成7年7月、東区法円坂町の大阪地方裁判所民事部や大阪の弁護士から私エージローを含む遺産相続人5名(平成26年現在は二男二 女の4名、実質的には一男二女の3名)に訴状などの詳細な書類が届きました。 ちなみに、私エージローが大学在学中、クラスメートのなかには当時ベストドレッサー賞に輝いた経験のある現職のK外務大臣の甥(実 弟の長男・津市久居町)がいて、2年浪人をして現三重大学に入学(卒業後 津市役所に就職)していましたが、3年生のときに魚類病 理学教室のK教授(北海道大学出身)の紹介で夏休みに1カ月ほど愛媛県八幡浜市の三瓶湾内にあるマルハの100%出資の子会社(社 長は現三重大学と繋がりのある東北大学の研究者)、100面余りの生簀を所有する大きなブリ・ハマチの養殖場で3人+研究生3人で 魚病実習を兼ねたアルバイトをし、また1年生の夏休みにはS学部長の紹介で1カ月間、兵庫県明石市の県立栽培漁業センターで実習を 兼ねたアルバイト、高級寿司ネタである幻の赤貝や、マダイ等の種苗生産などの助手をしていました。 そして、K君は早くから車の運転免許を取得していたので、休みの日には二人で足摺岬や宇和島方面をドライブに出てあちこちと遊んで いましたが、今から考えると、「外務省」が共通しており、何故なのかとたまに今でも不思議に思うことがあります。 父の話によると、戦前の父は大阪市内で松下幸之助風な「丁稚奉公」(でっちぼうこう)的なサラリーマンをしていましたが、昭和18 年ごろ、赤紙が来て呉の海軍に入隊し、南方パプアニューギニア、マレーシア方面を食糧難のなか、あちこちと転戦していたそうです。 また、戦後になって昭和37年ごろは、NHKの長寿番組「映像で見る実録 太平洋戦争史」などを大阪で夕飯過ぎから一家でよく観た りしていましたが、厚生省(現厚労省)から「軍人恩給」手当の支給通知が来たりしたものの、余りにも少額(年間2000円程度)だ ったのでお断りしたようでした。 ⇒ 恩給制度の概要(総務省) それを聞いた中学生の私エージローは、父の当時の気持ちのなかには、 「元気に生きて帰った我々は働けば食べていけるし、これからいくらでも稼ぐこともできる。小額でも『チリも積もれば山となる』、 気の毒な傷痍軍人や遺族の人たちにぜひ回してあげて生活の足しにしてほしい」 っていう切なる願いが込められているように感じたものでした。 当時、傷痍軍人の件はTVニュースでもよく取り上げられていて、戦後の復興は徐々に進んではいたものの、大阪市内のあちこちには夏 草がぼうぼうに生い茂っていたり、ドブ川が流れていたりして、戦争の傷跡、焼け跡が生々しく残るところもあり、大阪から山陽本線で 笠岡までお墓参りに帰ったりする途中、東海道本線などでもそうだったようですが、大阪駅の構内などでも、特に盆暮れの帰省客でごっ た返す汽車の通路などでは、ひょこひょこと不自由な体を動かしながらアコーデオンを演奏したりハーモニカを吹いたりして物乞いをす る気の毒な傷痍軍人たちの姿がよく見られましたが、そんな時、近くまでやって来た時は必ず、同席した親類のおじさんたちはきっと、 ともに太平洋戦争を戦い命を落とした戦友たちのことなどを咄嗟に思い出し、ちょっと緊張したような面持ちで辛そうに、 「なんと気の毒な‥‥‥‥」 などと小さな声でつぶやき、1000円札、5000円札などをさっと財布から取り出し手渡すのでした。 そして、小学生、中学生だった私エージローたちは、なんとなく子ども心に、とてもやるせない気持ちになって、余りにも気の毒すぎて むごすぎて目を逸(そ)らせたりするのでした。 終戦の年の昭和20年~21年ごろ、ゼロ戦の整備士をしていて北方アリューシャン列島のしぶきも凍る極寒の地ダッチハーバー(空軍 基地)から復員、生還した生前の父はかつて、昭和33年ごろ、笠岡から大阪に出て極端に景気の良かった海運会社に再就職し、K海運 株式会社で長年勤務して独立開業に成功。 その顛末は、私エージローの大学進学のころと重なり、私が無事大学に進学してほとんどアルバイトもせずゆったりとした学生生活を送 れたのは父の頑張りのお陰、教育熱心だった父の独立開業(のれん分け)成功のお陰でした。 大阪のK海運株式会社に10年余り勤務し、森繁久弥と長嶋茂雄を足して2で割ったような風貌と体格、軍隊上がりで体じゅうに剛毛が 生えているかのような印象を与えて頑健でごつくいかつく仕事熱心、まじめでよく働く男だったので、会社にその勤勉さ・実直さが認め られて、長年衆議院議員、参議院議員、国対委員長などを務めた共産党の正森成二国会議員が大阪市と掛け合い独立開業のための「中小 企業融資」を実現させたからであり、それにより父は笠岡(本籍地)の貸し家(持ち家)を親類の人に売却し頭金を作って、大阪市の融 資を受けて大きな貨物船を購入し海運事業を起こし、「昭和元禄」と謳われた折からの「高度経済成長期」の波に乗って順調に業績を伸 ばし、毎月の支払い(ローン)も多かったものの月収100万円を実現させ、手作りの長い勉強部屋を増築するなど、 「子ども達3人にはしっかりとした教育を受けさせたい」 と切実に願うような教育熱心で子煩悩だった父母は、こうして私の教育資金を調達することに成功したのでした。 正森成二氏は私の母と同じ昭和2年生まれで、かつて、私たち一家の住んでいた大阪市内のすぐ近所(港区)で 東大法学部を卒業して 弁護士事務所を開業していて、 「兄弟が二人とも東大へ行ったんよ!」 と母が言っていたその人であり、地元では有名でした。 大阪は当時、公明党や共産党の強い地盤であり、サラリーマンや自営業者を応援・支援してくれる共産党は庶民にはとても人気のある党 派でしたが、ウィキペディアにもある通り、正森成二氏は1972(昭47)年12月10日、第33回衆議院議員総選挙で当時の中選挙区大阪 1区から初当選し、以後 当選は連続9回を記録。 初当選の前に、私エージローが高校3年生~自宅浪人中の1968年ごろの初挑戦の衆議院議員の選挙では、共産党から初出馬し、285票 ぐらいで最下位となり落選していましたが、このころ(中学3年のころ)から父は朝日新聞とともに共産党の機関紙である「赤旗」も購 読するようになり、会社ぐるみで正森成二氏を支援し支持して大阪市の「中小企業融資」などを実現させ票を集めて、結果的に1972年 に、衆議院議員総選挙でめでたく初当選を果たすことになったのでした。 母(2005年他界)は、大阪生まれの大阪育ちで、昭和20年3月13日に18才で大阪大空襲を経験しながらも元気に生き延び、明 朗快活、社交的な性格だったので、戦前は大阪の桃谷順天館で「桃の花」(昔のハンドクリーム)などを製造するスタッフ、戦後は疎開 先(笠岡)で父と満月の夜にお見合いをして結婚、二男一女を儲けたのち、昭和33年8月、再び一家で大阪に出て、住友生命(大阪・ 西九条営業所)の班長を長年務めていました。 私エージローの二つ年上の兄(2007年他界)は高校卒業後、化学会社の研究室に勤務していましたが、同時に、2年間の大阪なんば デザイナー学院(商業デザイン)を卒業して、大阪・心斎橋の(株)ナインティナインに入社し、しばらくアートディレクターをしてい ました。 ‥‥と、ここで、突然ですが、 TV刑事ドラマ「古畑任三郎」(ふるはた にんざぶろう)とは‥‥ ドラマ冒頭で、ゲスト俳優演じる犯人によって殺人事件が起こり(一部殺人以外の事件の回もあり)、視聴者はあらかじめ「犯行の全 容」を知ることができる。完璧と思われていた犯行を、田村正和演じる警部補の古畑任三郎が、巧みな話術と卓越した推理力で犯人のア リバイやトリックを崩していき、真相を解明していくストーリー。和製刑事コロンボとも言える新境地を開き、10年以上にわたって演 じる当たり役となった‥‥(以下略) 「長谷川和夫か阪妻(ばんづま)か」 二枚目の代名詞ですが、二人の大スターを昔はこう表現していて、田村正和は阪東妻三郎の息子(三男)だったわけです。 この人気の「古任(ふるにん)シリーズ」、私エージローも夫婦でたまに観ていましたが、実は、兄は古畑任三郎のそっくりさんで、た まに古任の物まねをして周りの人たちを笑いの渦に巻き込み喜ばせていました。 また、高校生の頃は演劇部に籍を置き、俳優を目指したりしていましたが、裏方の照明係ばかりをさせられていたようです。 高校を卒業してからは、高度経済成長期のさなか、昭和元禄花ざかりのころだったこともあり、普通のサラリーマンがいやで、漫画家を 目指したり、イラストレーターを目指したりしていましたが、クリエイティブな仕事を目指し、デザイン会社に再就職。 父に厳しく言われたこともあり、アートディレクターとして八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍でがむしゃらに頑張っていましたが、し ばらく経ったころ、事態が急変。 「M○Y○K○デザイン事務所」を構え、独立して開業しているところへ、(株)ナインティナインの社長が後を引き継いでくれないか とやって来たという(40年近く前の)話。 健康上の理由なのか、家庭の事情があったのか、詳細は聞きませんでした(忘れました)が、29才の兄がある日の夜8時ごろ突然、 私の下宿(○○美容室の隣の一軒家の2階)にやって来て、にこやかに恵比寿(えびす)顔でこう言いました。 「独立してナインティナインの会社を任されることになったので、運転資金を少し融通してもらえないか。」 とても景気のいい頃だったので、 「それはすごくいい話やけど、大丈夫かいな。かなり責任 重いんじゃないのか‥‥」 よく話を聞いた後、結局、賛同し合意しました。 兄は自分のやりたい仕事だったし、やりがいのあるクリエイティブな仕事だったので、後へは引けない状況だったようであり、私が大 阪・道修町(どしょうまち)の1717年創業の大手の製薬会社に就職し、年間ボーナス8カ月をもらっていることをよく知っていたの で、こちらに頼ってきたようです。 この製薬会社は、当時人気の長寿TV番組「蝶々・雄二の夫婦善哉」のスポンサーを長年一社で担当しており、米国の俳優E.H.エリッ クやイタリアの人気の大女優ソフィア・ローレンのコマーシャルで人気を集めていましたが、不老長寿の夢の新薬とか世界的新薬とかと 注目されて一躍有名になったPG(プロスタグランジン)を1972~73年にかけて開発し、株価が急騰したまま現在に至っている、 という地味ですが ちょっと有名な、谷崎潤一郎の小説「春琴抄」のモデルとなった会社です。 ちなみに、製薬業界は世の中の景気がいい時はまあまあの景気で、世の中の景気が悪い時は逆に景気が良くなり売り上げがよく伸びると いう傾向があり、昔から福利厚生の充実した安定した業界で、「薬九層倍」(くすりくそうばい)と謂われて、大手では年間ボーナスも 安定的に基本給の8カ月分が支給されることが多く、定年退職後は必ず 企業年金も支給されます。 以来、兄は心斎橋から南船場へと仕事場を移しながら途中、社名も変更して30年あまり、社員50名ほどの会社をしっかり経営してき ましたが、亡くなる1年ほど前(2006年)の墓参りの帰路、何年振りかで久々に顔を合わせて定期航路の船便の中で聞いた話では、 「景気が良かったのは30年のうち前半の10年間だけで、後の20年間は不景気で 時代も変わり、経営難に苦しめられていた‥‥」 確かに、最初の10年間は、高度経済成長期のさなか、大阪の景気も良く、儲かったので税金対策でブームのマンションを買ったり、付 き合いで、っていうか社長だったのでベンツを購入したりと、地味なようで派手、派手なようで地味な暮らしぶりだったようです。 ちなみに、兄の嫁は父を割合早くに亡くした一人娘で、二男を儲けて長年、心斎橋でアレンジメントフラワー教室の講師をしていて、物 腰の穏やかなその実母(1998年他界)は長年、大阪で評判のいい着物の着付け教室を開いていました。 また、私の母方の親類が終戦直後から大阪市内の焼け跡に銭湯を開業していたので、たまに一家で浸かりにいっていましたが、時の流れ とともに、アーケード街の一角にあったその銭湯を福徳相互銀行に譲り、商売替えをして中央区の南本町に大きなレストランを開業。今 もよく繁盛しているようですが、高度経済成長期の景気のいい頃はオーナーの二男が真っ赤なポルシェを乗り回したり、娘が芸能界を目 指してあちこちのオーディションを受けたり(すべて不合格だったり)した、などという情報が母の口からよく届いていました。 また、母方の祖父は大阪府知事の免許を持つ一級建築士でしたが、家内の親類が昔から大阪市内で寿司屋を営んでおり、高度経済成長期 の景気の良かった新婚のころ、みんなで食べに行ったりしていました。 また、私エージローの知る記憶の範囲内では、身内には会社勤めも多いなか、自衛隊に入って長年勤務し、南極観測越冬隊に参加した り、教員一家だったり、看護師や保育士(保母)だったり、奈良で長年ブティックを営んでいたり、国鉄マンだったり、商業デザイナー だったり、大阪府立大手前高校から大阪市立大学法学部に進学したのち歯科技工士に転身したり、長年喫茶店を営んでいたり、ソニーや パナソニック、マツダやカネボウ、トヨタ、JA農協、日東電工、千趣会、ホーコス、広島市立大学を卒業してTOTOに勤務していた り、服飾デザイナーだったり、外務省職員だったり、文房具店だったり、税理士だったり、調理師だったり、アパート経営者だったり、 証券マンだったり、東京の明治大学と長崎大学の二つを出て会社勤めをしていたり、村長だったり、米国ハワイ州の駐在員がいたり、米 国ミシガン州や上海に長期留学したり、エジプト(卒論)やイタリア(新婚旅行)、沖縄、韓国(仕事)に出たり、バイオリニストを目 指したり、湘南・西宮のサーファーがいたり、大きな宗教法人の運営者だったり、高級絨毯(じゅうたん)メーカーの社長だったり、定 期航路の船長だったり、大阪市役所の職員だったり、金属加工会社の社長だったり、大阪府知事の免許を持つ一級建築士で長年工務店を 営む元気者も数名いたりと、バラエティーに富んでいますが、みなさん忙しく、近況の詳細は不明です。 ちなみに、私の父方の曾祖父は幕末の人で、名前は佐與治(さよじ、妻はイセ)と言い、墓碑によると1927(S2)年に○○才で 他界しましたが、1962(S37)年3月に90才で老衰により他界した骨太だった祖父(1872・M5生)の話によれば、祖父が 生まれたころは親や兄弟たち、身内はまだ丁髷(ちょんまげ)を結っていて、暗殺事件などが相次ぐ幕末の混乱のなかで身の危険を感じ た身内たちが集まって、寒い雪国(北陸)方面から身の安全確保のため温暖で平穏な瀬戸内海の小島(笠岡諸島)に移り住んだようで す。 島の墓地には、文化7(1810)年、文政7(1824)年、嘉永3(1850)年、安政3(1856)年、慶応3(1867)年 ‥‥などという年号の刻印文字がかすかに読み取れる状況でかなり風化の進んだ小さめの墓石がいくつか残っていますが、誰がその管理 をしているのかは不明です。 私の母方の祖母は三男三女の6人兄弟姉妹(きょうだい)の三女で、二女(1905・M38生)は老衰で岡山県の玉野市で亡くなるま で、102才と3カ月という天寿を全うした農業一筋の元気者で本家の嫁としてよく働きましたが、子宝には余り恵まれず、2007 (H19)年6月に他界、本家は途絶えてしまい、大阪の弁護士からの詳細な書類によれば、分家の私エージローが法定家督相続人と して、赤松の(松茸)山や多くの畑や宅地などを引き継ぐことになりました。 ちなみに、この長寿だった本家の嫁(二女)の夫(1903・M36生)は漁業一筋の元気者(趣味は蓄音機)で、よく稼ぐ働き者 (1969・S44他界)でしたが、本家の嫁(私の母の伯母)によれば、この本家の長男(私の伯父)が生まれた年に、嫁が「屋敷」 と呼んでいた本家の家屋は、頑健だった祖父(1872・M5生)が山から赤松や黒松などの大木を切り出し笠岡の製材所に運んで角材 にして、それらを使って建てたものでした。したがって、大きな竃(かまど)が二つあったり五右衛門風呂や餅つき用の大きな石臼、年 代物の大きな桐の(明治時代に45円で買ったと祖父が言っていた)箪笥があったりするこの家屋の建築年数は、 2019-1903=116年 ということになり、頑丈にできていますが、かなり老朽化が進んでいます。 実は、今から65年ほど前のこと、私の父母が新婚のころ、父母はこの本家の二階に間借りをしていて、祖父母夫婦、長男夫婦と一時 的に同居しており、私エージローたち3人(二男一女)を産婆、助産師として採りあげたのが102才まで長生きをした本家最後の生 き証人である長男の嫁(私の母の伯母)でした。 私の母と祖母(三女)によれば、その父(曾祖父)の名は富次郎(とみじろう)といって、明治・大正・昭和(戦前)と、瀬戸内海や 日向灘(ひゅうがなだ)方面を船でよく通行することの多かった材木商を営んでいたそうで、更に、その父(高祖父)の名は一之丞(い ちのじょう)と名乗る江戸時代末期の人だったそうです。歌舞伎役者のような名前だったんだね。気前よくお小遣いをくれたりするよう な人だったのなら、タイムスリップで一度会ってみたいですね。(エージローの備忘録) 瀬戸内海国立公園のほぼ中央に位置するこの風光明媚で温暖な小島は燧灘(ひうちなだ)にあって海上交通の要衝であり、中四国四県の 県境の島で岡山県最南端の島であって いかなご漁や海苔養殖などで大いに栄えた半農半漁の島。 結局、島は狭くて仕事もたくさん無いので、ほとんどの人は島の外に出て商売をしたり勤め人をしたりして働いて生活をしており、盆 暮れGW村祭りなどにはお墓参りのため一斉に帰省するので 小さな離島の人口が急に増えたりしますが、島に残って島の産業(半農半 漁がメイン)と先祖代々のお墓を守り島を守って「島おこし」を推進する元気な身内の島民たちと さまざまな情報交換をしながらいろ いろな近況を報告し合いコミュニケーションを保っているわけです。これは日本全国津々浦々、どこの島も、村も、町もみな同じ状況な のであり、過疎化対策、景気対策として常に産業振興策を優先的に考えなければならないという永遠のテーマがここにあり、島の場合で あれば無人島化回避が常に重要な課題であり、IT立国を標榜する21世紀の諸外国と同様に、我が国もIT立国推進は最優先の重要な 国策の柱の一つであり、インターネット(BB)推進は地元笠岡でも喫緊の課題となっていて特に最近、「島おこし」に250万円の調 査費(予算)が下りたり(2013年度)と、いろいろな動きが活発化しているようです。 ▲地域おこし(中国新聞11月2日付朝刊)~ブログ用~ posted by (C)エージロー そして、島民はそのほとんどが身内で、その大半は大阪、東京、千葉、兵庫、岡山、広島、山口、愛知、京都、四国など、島の外へ出て いろいろな商売をしたり勤め人をしたりしていますが、岡山県で唯一の大型灯台が大正11年ごろからあり、最近は21世紀型仕様にか なり近代化され無人灯台となっていて、その周辺は毎年2月ごろには水仙の群落の花が咲き乱れて咲き匂ういい季節を迎えます。(了) ▲「恋する灯台」の丘 スイセン見頃~ブログ用~ posted by (C)エージロー ‥‥‥【文責・写真】エージロー(2019.03.15.Fri.更新) 光の祭典:神戸ルミナリエ2 posted by (C)エージロー(2010.12.4.18:35撮影) 【注】この楽天ブログの【全国総合ランキング】で【第1位】を73回(2015年01月31日現在)獲得する以前は、 根アカで穏やか、陽気で元気、人畜無害、温厚篤実、公明正大、真実一路、信用第一、天真爛漫で楽天家、健康志向の強い団塊世代の私 エージローの場合は最初のころ、 「アクセスの無いブログなんて、イキの抜けた夏場のビールのようなものですよー」 ‥‥なんていう活気のない寂しそうな声が秋の風と共にどこからとも無く聞こえて来そうだったので、ここは一番、 「乗りかかった船には迷わず乗り込め」 っていう先人たちの教え通り、後戻りはできないから退路を断って、ネット時代の流れに沿って、精進を重ねて良い結果・実績を残せる ように根気強くぼちぼちと誰からも愛され親しまれるブログ、写真サイト、レシピサイト、ダイエットサイトを目指して努力を続けてい こう‥‥‥‥などと考えていました。 光の祭典:神戸ルミナリエ1 posted by (C)エージロー(2010.12.4.18:37撮影) 光の祭典:神戸ルミナリエ4 posted by (C)エージロー(2010.12.4.18:39撮影) 仏通寺の紅葉 錦秋オオモミジ♪ posted by (C)エージロー 新緑の頃~江(ごう)の川の鯉たち~ posted by (C)エージロー どの花見ても綺麗だね posted by (C)エージロー(2011年5月8日 14:33 撮影) 極彩色に輝く花々 posted by (C)エージロー 花絵の世界 posted by (C)エージロー ハイ、すまいるぅv(^^)カシャ♪~家族連れ~ posted by (C)エージロー ワルツ「高原のムスカリのさざ波」 posted by (C)エージロー 花絵の中でウキウキわくわく posted by (C)エージロー ただ今20万本のチューリップで花絵中 in 世羅高原 posted by (C)エージロー 高原の青い空白い雲&チューリップ祭 posted by (C)エージロー(2011.5.8) 【その2】より。 ■【高校化学】ボイル・シャルルの法則 by 映像授業Try IT(トライイット) (2020.05.18.Mon.) ■ビデオ編集ソフト -- PowerDirector 18 Ultra 5年連続 ”国内販売シェアNo.1” ビデオ編集ソフト by CyberLink (2020.05.20.Wed.) ■進研ゼミ 高校講座 自宅が分かりやすい教室に!オンライン授業 追加受講費0円 by Benesse (2020.05.20.Wed.) ■たった2ケ月で英語が上達!?新時代の英語教材 i-smileとは?スマホで1日15分ドラマを楽しむことで自然と英語が身に付く最新の 英会話学習法を公開! by デイビッド・セイン先生 (2020.05.23.Sat.) ■【数学の問題】円周の求め方・円周率とは何か・なぜ無限に続くのかを説明。その割り切れない理由について by アタリマエ! 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USBキー1本で、オフィスと同じ環境で仕事ができる! 『マジックコネクト』は、手元端末にオフィスPCのデスクトップ画面を呼び出して操作するリモートアクセスサービスです。 外出先、自宅、国外にいても、インターネットにつながった端末※を利用してオフィスにいるのと同じように業務を行えます。 ※ インターネット回線および端末はお客様にてご用意ください。 ■驚くほど栄(は)える 日本初のひよこ育毛剤「ニューモ」 by ファーマフーズ by BOBO-LIFE (2021.04.22.Thu.) ■「市販品は絶対やめて」有名歯科医が暴露した〇〇を試した結果、黄ばみが一瞬で・・・ 薬用マウスウォッシュ「ノッシュ」(医薬部外品)で白い歯を。 by フューメント (2021.04.22.Thu.) ■公正な採用選考に必要なのは、その人の適性と能力だけです。 by 厚生労働省・都道府県労働局・ハローワーク (2021.05.05.Wed.) ■数式なしでもしっかり学ぶ量子力学~ミクロな世界の物理学~ by ヨビノリたくみ (2021.05.08.Sat.) ■「永久に持っておきたい6つの高配当米国株」とは? by APJ Media by THE OXFORD CLUB (2021.05.21.Fri.) ■既存のドローンメーカーはこのドローンの登場を喜んではいないようです by vialisus.com by MARRONMALL (2021.05.28.Fri.) ■LOVOTと暮らす、新しい毎日。グッドデザイン金賞受賞! by GROOVE X,Inc. 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