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鉛筆画の記録。

鉛筆画の記録。

10月11日。(※不適切、不謹慎な発言があると思われます。ご注意ください。)

2016年、10月11日。

先週までの暑さはどこへ行ったんだ、
と思うくらい肌寒くなった夕方。
父方のおじいちゃんが、亡くなった。
一度脳梗塞を起こし、
退院を目前にして二度目の梗塞。
それと透析の影響が心臓にきて。

初めての身近な人の死。
自分の命を与えてくれた人。
最初に父から訃報を聞いたとき、
一瞬どう答えるべきか、
フリーズしてしまった。
しかもそれと同じタイミングで、
明日からの仕事どうしようとか、
喪服はあるかなとか、
ぼんやり考えている自分がいた。
葬式の日程ってどうなってるんだろうと、
スマホで検索している自分が何だか滑稽だった。

おじいちゃんは長い間病床に臥せっていた。
だから、死と向きあう覚悟を持つ時間は十分にあった。
でも、「どう答えるべきか」とか「明日の仕事」とか、
ひどく現実的な自分、何だかうまく悲しめない自分に、
ものすごく嫌悪している。
最後に祖父に会いに行ったのはいつだろうか。
その時は既に5年くらい人工透析を続けていて、
小さい頃握ったふっくらした大きな手は、
黒糖の麩菓子のように頼りなくなっていた。
「人はここまで変わるものなのか」と衝撃を受けた覚えがある。



おじいちゃんは身長が高くて、少しとぼけた人だった。
みんなでUNOをやった時は、なかなか勝てず、
「よーし、勝つために研究しちゃる」
と、虫眼鏡を取り出してUNOカード一枚一枚をじっくり観察していたこともあった。
マニュアル車の運転が強引で、
スポーツが得意で、
丸餅をぷくっとさせるのが上手で、
いつもにこにこしていた。

上司に「祖父が亡くなりました」と報告したとき、
「祖父」と言う自分に違和感を拭えなかった。
私の中ではいつまでも「おじいちゃん」だから、
いつのまに「祖父」とか、「父」とか「母」とか、
そういう風に人前で言えるようになったのが、なんだかとても寂しいと思った。

おじいちゃんが亡くなる前、
上司の父親も亡くなられて、一週間忌引休暇をとっている。
喪主をつとめているそうだ。
自分の親が亡くなるというのは、どういう気持ちなんだろう?



12日、通夜。
弟と式場に向かう。
空港、特急。
特急を逃して、鈍行。
18時48分、○○駅着。

式場。
みんな黒い。異様。
控え室で着替え。
お線香。
おじいちゃんの顔を見る。
全然ガリガリじゃない。
きれい。いつもみたいに眉間がとんがってない。
穏やかな風が吹く。
大叔父と父が、
「おじいちゃんの顔に虫がついてたから、
棺を開けて殺生した」
と笑いながら話していた。
驚いた。こんな空気か。
(亡くなった)実感は皆無?
それともおかしくなったのかな。

おばあちゃんはどこだ。
呈茶室にいた。
うそ、いない。
でもいた。
小さい…
おばあちゃんってこんなに小さかったっけ?
「○○○ちゃん、大きくなったね~」
「こんなことになって、ごめんね…」
おばあちゃんが謝ることではない。
むしろ私が、全然遊びに行けなくて、
部活とか仕事とかなんやらで行けなくて、、

いろいろな親戚に会った。
誰が誰だか分からない。
皆で寿司を食べた。
・・・味が分からない。

父が明日の告別式で挨拶をすることになった。
「本日はお忙しいところ、父○○の葬儀にご会葬くださり、誠にありがとうございます。
このように大勢の方々にお見送りいただきさぞかし故人も喜んでいることと存じます・・・」
例文を必死に覚えている。

おじいちゃんにもう一回お線香をあげた。
おばあちゃんがおじいちゃんとの思い出を話してくれた。
涙が止まらなくなってしまった。
正常に聞けなかった。
聞いてるつもりが、涙を止めるのに必死で頭に入ってこない。
涙をこらえようとし続けると、頭がぼうっとすることを初めて知った。
寝なきゃ。
同室の姉の鼾がうるさい。
眠れん…

13日、お葬式、告別式。
朝食。
味噌汁が甘い。
姉と受付。
香典を受け取り、
必要事項を記入してもらい、
会葬御礼を渡す。
何で私ここにいるんだろう?
何で私こんなことしているんだろう?

焼香。
おじいちゃんの遺影がまともに見れない。
おじいちゃんに声をかけたいのに、
涙が出そうで何も言えない。


私の父の挨拶。

「親父は優しい人でした。いつも周りの人のことばかり考えているような人でした--------」

あれ、昨日の夜必死に覚えていた例文と全然違う・・・

「---------------(略)

  私の母は、父がいないと何一つできないひとです。
 どうか、どうか母を支えてやってください。
 今後も変わらぬご厚誼を賜りますよう、よろしくお願いします。」

おじいちゃんの容体が悪化し始めた頃から、
父が神社巡りをして必死に祈っていたことを知っていた。
離れたところに住んでるからなかなか会いに行けないし、
おじいちゃんの最後を看取ることも出来なかった。
きっと私より何千、何万倍も辛いはず。

でも父は、最後まで力強く、
遺された私達の想いを、すべて代弁してくれた。


棺に、おじいちゃんがソフトボールチームの時使っていた帽子、
おじいちゃんが最後に欲しがった青のチェックのパジャマ、
みんなで毎晩遊びたおしたUNO、
そして向こうの世界で使うお金を入れた。
最後に花を敷き詰めるとき、
真ん中に眠っているおじいちゃんの周りを、
色とりどりの花が囲むと、
なんだかアンバランスで、不思議な気持ちになった。

久しぶりに晴れた空。
白い霊柩車。
肩を落としたおばあちゃん。
遺影を持つ父。
と、それを囲む人達。
たぶん、一生忘れない。

火葬場。
車で30分。
外の景色。木。木。
火葬場。
「喪主の方、ボタンを、押してください。」
着火ボタンを押すことに戸惑うおばあちゃん。
もう、本当に、会えなくなるんだな・・・
結局、おばあちゃんと父と叔父さんと、三人で押した。

骨上げ。
人骨。
これが。
模型みたい。
頭蓋骨はきれいに残ると思っていたけど、
そんなことはなかったみたいだ。
棺の中ではあんなに小さく見えたのに、
骨、大きいんだな。
帽子が焼け残っていた。
おじいちゃんが現世に残していきたかったのかな。

はしわたし。
骨壷に骨が収まらない。
砕く。
砕いて・・・いいんだ?

その日の夜はホテルに泊まった。
駅近くの廃れたビジネスホテル。
みんなでUNOをした。
私の姉は、いわゆる少し「視える」人で、
UNOをしている時に、
「おじいちゃんがね、火葬場に行くまで、
ずっと笑ってこっちを見てたんだよ」
って言ってた。
おじいちゃんはどんな気持ちで私たちを見てたんだろう。
分からないけど、笑ってたんならよかった。いつも通りのおじいちゃんだ。
でも姉ちゃんはずるい。私も「視える」人なら、
おじいちゃんに会うことができたのに。
一人で家に帰ったおばあちゃんは今どんな気持ちでいるだろう。
昨日は線香の火が消えないようにずっと起きていたし、
3日も徹夜しているみたいだから、寝てほしい。


14日、
みんなで集まれる時間は限られてるから、
初七日の法要を行った。
お坊さんの読経。
心臓に響く。
読経後に出されたお菓子とお茶。
お坊さんと雑談。
おじいちゃんの、向こうの世界での名前の話。
おじいちゃんの名前の漢字が一文字入っている。
すごくいい。
位が高いんだって。
位とか、あるんだな。

四十九日の日取りを決めた。
私はただただ茶をすするばかり。
奥の納骨堂に入らせてもらった。
ここに代々ご先祖様のお骨が入っているのか?
おばあちゃんが、
「この納骨堂は私のお父さんが全額寄付して作られたんだよ。」って。
え、結構広いのに。
我が一族、実は金持ちだったのか??

墓石の話。
すぐにまとまった。
役場での年金等のやりとり。
我が一族はちょっと特殊だから、
必要な書類がなかなか用意できなくて、
役場の人とバトってた。
いろいろ大変なんだな。




夜、おばあちゃんの話。

「褥瘡がひどくなって、クッションをつくったんよ。
 でも、看護師さんに「硬すぎるから。」って言われて。
 柔らかいの作って持ってったら、きれいに治って。」
床ずれって看護師さんがしっかり見てあげてたら大丈夫なんじゃないの?
そう考える私は理不尽か。
きっと多くの病床の世話をしているから。
きっと大変なんだよね。
でも、そう思わずにはいられない。

「いつも病院に行くと、
 「俺は大丈夫だから・・・」って。
 そればっかり。」

「おじいちゃんは優しい人だった、
いっつも人のことばっか考えとった、
いっつも
「俺がやってきちゃる。」
って何でもやってくれる人だった、
だから今、私はなんもできん・・・」
50数年、私の生きてきた二倍以上の月日、
ずっと寄り添ってきた人が亡くなるってどういうことか。
しかも、無事退院して家に戻れると思っていた人が。

「90まで生きるって約束したっちゃが・・・
だから私毎日病院に通った・・・これは皆勤賞だね。もう行くことはないけど。」
寂しそうに笑うおばあちゃん。

「おじいちゃんは中学を卒業したらすぐに働いて、
 みんなを助けっとったんよ・・・」
少し誇らしげなおばあちゃん。

「名前もしっかり言えてた。
 同室の患者さんが新しいパジャマをもらっていたのを見たときも、
 「俺も、パジャマが、欲しい」って。
 調子のいい時はいつも数字を数えていて。でも1から10まで言ったら、
 次は「101・・・102・・・」って。回路がおかしくなってたんやろうね。

 おじいちゃんは計算が得意だった、なのに何で脳にきちゃったんだろう。
 思えば、得意だった卓球が全然打ち返せなくなった、って言ってた時からもう始まってたのかもしれんね・・・」
もっと早くに気づいていたら、と後悔をにじませるおばあちゃん。



「この人は、もうダメかもしれない」
おばあちゃんを見て、そう思ってしまった自分がいた。
私も、支えるから、だから、
おばあちゃんには、これからも強く生きてほしい。





帰りの電車。
みんな、笑っている。
私は、心が泣き過ぎて枯れている。
おじいちゃんが死んじゃっても、
東京はそこに在るし、県庁所在地は変わらない。
何も変わらない日常が、そこかしこに流れている。
別に「みんなも悲しめ」と言いたいわけじゃないけど、
自分がどんな風に思おうが、
環境がどう変わろうが、
当たり前のように進んでいる日常がなんだか恨めしくて
むなしかった。

おじいちゃんは入院してからずっと日記を書いてたそうだ。
でも最後の方は、もう「きつい」とか「息が苦しい」とか・・・
どれだけ辛かったんだろう
どれだけ苦しかったんだろう
「早く楽になりたい」って思ったりしたのかな。
おじいちゃんは言葉に出さなかったけど、
もし自分の大切な人に
「早く楽にしてくれ」
って言われたら、
私はどうするんだろう?

おじいちゃんが亡くなる前は、
「人はいつかは死ぬ。
それが早いか遅いかだけだ。
自然の摂理だ。
現世からあの世へ移動するだけだ。」
って割り切れるつもりでいた。

いざその状況が目の前に転がったとき、
全然割り切れない自分がいた。
現世に遺るのは想い出だけで、
現世ではもう会えない。
会うことができない。
その意味を、全然理解していなかった。

携帯電話に保存された画像の日付とか、
LINEの日付とかを見ると、
「この時まではおじいちゃんがいた。」
「この時からおじいちゃんはもういない。」
ってそればっかり考えてる。
それでも仕事は毎日普通に大量にあるわけで。
また、何も変わらない日常が続いていく。


身近な人が亡くなった時には、
まず否認。
「あの人が亡くなったなんてありえない!!」
次に怒り、絶望。
「なぜあの人は死んでしまったの!?」
最後に受容。
なんだってさ。
私は上記のどの感情も未だに曖昧で、
今ならおじいちゃんのもとに行ってもいいかもって考えてたりする。
でも、そんなおじいちゃんがくれた命だから、
おじいちゃんのように
その苦労からやさしさを、
笑顔を、
持って現世での人生を全うしたいと思う。


おばあちゃんが何度も繰り返していた言葉。


「 おじいちゃんはいつも言っとった、
   「 自分は一つ馬鹿になって周りを見ろ 」と
   「 そしたら、相手がどうしてほしいのか分かる 」と

    自分が小さい頃から物を売っていて、
    ものすごく苦労したから、
    それを周りにはさせたくない、と。 」


H28.10.11.  林 李音。


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