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テーマ:たわごと(26725)
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夏の広葉樹の葉は、風に揺れると、
ダイヤモンドみたいにキラキラしてきれいだけど、 冬の、風が凪いだ針葉樹林の葉はもっと、 線香花火みたいに細かくて繊細で、 雨が葉を濡らすと、 それらが瞳の中で切なく、揺れた。 こんにちは。林です。 今日は、いい天気だったので、休みを取ったった。 UQ(有休)♪笑 春です。えぇ、春です。 先週、花めぐりしてきました。 夜桜と月。 月に桜がかかって、逆光ぽくみえるのがよき。 私のスマホ様の画質があまりよくないのと、林の撮り技術がorzな感じなわけで。 でも、すごい綺麗でした。 花桃。艶やか。 ピントが・・・ これで素敵な香りでも醸し出していればいいのだけれど、 特に香りは致しませんでした。ちょっと残念。 こちらは、ボケの花。 漢字では「木瓜」と書きます。 果実の形が瓜に似ているから付けられた名だそうですね。 私の友人は、 「ボーケ、ボーケ、バーカ、ボーケ!」 と、この花をひとしきりディスったあと落ち込んでました(何があった)笑 同じ場所についているのになぜこんなに赤かったり、白かったり、 色が違うのか不思議不思議。 個性があってよい。 最近は、 「催花雨」と「桜雲」という言葉がお気に入り。 今までこういう言葉があることを知らず・・・お恥ずかしい。 意味も好き。 桜雲なんかは、満開の桜の中に、 深紅の橋が架かっている風景を、 頭の中に浮かべてにやにやしています(妄想が広がる)。 いつだったか忘れたが、チベットのドキュメンタリー番組を観た。 ぼ~っと観てたから、覚えている中で思ったことを書く。 ある僧侶は、 「すべてのものは平等。他者を害する殺生はしない」 という教えのもと、米と野菜しか食べないらしいが、 これはずいぶんとエゴな考えではないかと思ってしまった。 言ってしまえば、 米や野菜の命を害して殺生しているわけだから、 それらを肉や魚と分けることはできないのではないか。 米や野菜だって立派に生きている。 この地球上で、万物が平等だなんて有り得ない。 平等なのだとしたら、生物なんかは疾うに滅んでいるだろう。 自分たちは、いろんなものを食らって、 はい上がって生きて、いろんなものに生かされているのだから。 また、その僧侶の、肺結核にかかっている弟も紹介されていた。 結核の治療には体力が必要だが、弟もまた信心深く、 米や野菜しか食していないそうだ。 とても痩せていた。 弟は番組で、「自分の命」と「教え」のどちらが大切か?と問われて、 「教え」と答えていた。 自分の命よりも大切なことなのか? じゃあ、あなたは何のために生まれてきたのか? ちと論点がずれるけども、 これだけ一つの教えとやらに固執してるんじゃ、 宗教による争いも起こるわけだ。 信仰が悪いことだとは思わないが、 もう少し他の考えに対して尊大であってもいいんじゃないか。 そして、自分の命は、 生きている、生かされている限りは、 最優先にするべきなのではないか。 まあ、考え方は人それぞれだろうから、 私の考えがエゴだと言われたらそれまでだけども。 あと、チベットでは「鳥葬」という葬儀の形があるらしい。 鳥葬とは、野鳥に亡骸を啄ませて、死者を弔うことである。 私は「土葬」と「火葬」ぐらいしか知らなかったので、 衝撃を受けた。 他にも、世界には「獣葬」だとか「風葬」だとか、 色々な形があるそうだ。 これは、偏見を承知で言わせてもらうが、 現世でそのような形で弔われて、 果たして魂というのは救われる(?)のだろうか。 人も、他の生物と同じように、 食う食われるの世界にあったということなのだろうか。 そして、死してそれを全うできたということなのか。 なんか、変な事ばっか記録しちゃったかな。 でも、林は、特に、なんともない。大丈夫だろ笑 今はとても、 いろいろな人とお話したい気分。 花見でも開催するかな。 {{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{{ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017年04月13日 11時04分08秒
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