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2018年08月17日
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猪瀬直樹の「眼からウロコ」

東京都副都知事で作家の猪瀬直樹氏が、日々、考えていることをお伝えする。「常識」が「非常識」かもしれないという考え方を語る。
2011年2月1日より


 最近の若い人を見ていると、非常に打たれ弱い。順調にやってきたエリート社員が、何かの失敗をきっかけに自信を失い、逃げるようにして会社を去る。就職活動でうまくいかない学生が、「どうせ俺は負け組だから」と開き直って、一切の努力を放棄する。「負け」をあたかも死の宣告のように大げさにとらえて、人生を投げ出す人が多い気がする。

人生はたとえるなら大相撲と同じだ
 負けを重く受け止める人は、人生を甲子園のようなトーナメント戦だと考えているのではないだろうか。県予選で、いや地区予選で、甲子園では一度負けたら上に進むことができない。それと同じように、一回でも失敗したら、人生という舞台で勝ち上がれないと思い込んでいる。

 新卒中心の採用システムになっている日本では、負けが許されないという強迫観念が強くなりがちだ。一流企業に入るためには、まずいい大学に入る必要があり、そのためには名門高校や中学、さらには幼稚園からお受験に勝ちつづけなくてはいけない。このような環境で育てば、「トーナメント思考」を植えつけられるのもしかたがないのかもしれない。さらに、そうして「トーナメント思考」に染まった人たちが企業の採用担当者となり、新卒採用システムを補強していく。

 しかし、人生はトーナメント戦ではなく、僕はむしろ「リーグ戦」だと思っている。たとえるなら大相撲だ。相撲は最初に5連敗しても、あとから10連勝して取り返すことができる。8勝7敗でもよいのだ。人生も似たところがあって、どんなにひどい失敗をしたところで、明日が来なくなるわけではない。それなのに、若い人たちは、「トーナメント思考」に囚われてしまっている。



ジャズピアニストを夢見たジェラルド・カーティス氏

 「トーナメント思考」から抜け出すためには、世界に視野を広げた方がいい。リーグ戦を戦う環境が整っている国といえば、やはりアメリカだろう。途中で負けてもつづきがあって、挽回が可能なリーグ戦がアメリカ社会だ。

 別の言い方をすれば、日本が単線の社会なら、アメリカは複線の社会だ。アメリカにおける複線的な生き方を象徴する人物として、日本でも有名な政治学者のジェラルド・カーティス氏を紹介したい。

 カーティス氏は、ブルックリンの出身で、もともとはジャズピアニストを夢見る青年だった。彼はプロを目指してニューヨーク州立大学音楽学部に進学した。しかしニューヨーク州といっても、キャンパスがあるのは田舎だった。近辺にナイトクラブがなく、アルバイトをして食べていくことができない。そこで職を求めて、ジャズピアニストと両立できるアルバカーキのニューメキシコ州立大学へ転校した。

 ニューメキシコ州立大学で偶然にも政治学の授業を取ったことが、カーティス氏にまったく別の人生のレールを歩ませることになった。政治学に興味を持った彼は、ニューヨーク市内のコロンビア大学大学院へと進学し、そこで日本語の授業を受けたことをきっかけに、1970年代初めに来日する。こうして、日本の選挙運動に密着した名著『代議士の誕生』(山岡清二訳・サイマル出版会、2009年に日経BP社から新訳)を発表し、政治学者として花開いたのだった。

 二転三転の人生だが、アメリカではこうした生き方は特別なことではない。カーティス氏は自分のキャリアを「レイトブルーマー(遅咲きの花)」と称しているが、アメリカの社会にはそれを認めてくれる寛容さと柔軟さがある。




貯蓄をするより、自分に投資をしよう

 僕も20代の頃は、将来の展望なんて何も見えていなかった。それでも、地元の大学を卒業してから、東京には自由と未来があると感じて上京した。

 就職試験を受けなかったので、当時の僕の立場は、いまで言うフリーターと同じだった。立派な会社に勤めた同期の友人たちがいっぱしの社会人になっていくのを横目で見ながら、とりあえず今日を生き延びるために、毎日懸命に働いた。

 新卒で就職しなかった僕は、トーナメント戦に出場することすらできなかった。だから、自然と「リーグ戦思考」で考えるようになった。出遅れた人間が自分の手で自由と未来をつかむに、「企画力」と「楽観主義」を頼りに頑張った。一度、コースを離れた人が勝負をするなら、そこにしかチャンスはない。 また、僕は徹底的に自分に投資をした。30代のときには貯蓄なんて頭になく、毎月赤字にあえいでいた。少しでもお金に余裕ができると、すぐに仕事への投資に回していた。家計のバランスシートは、収入よりも支出のほうが断然多かった。

 当時は小さな子供2人を抱え、その保育園代が月に8万円もかかる。私大の学費が月に4万~5万円だったのを考えると、30代の若い夫婦が子供2人を大学に通わせていたようなものだ。それだけでも大変なのに、僕が自分の仕事にどんどん投資をしてしまうせいで、家にはほとんどお金が残らない。それどころか、年末になると年越しのために友人にお金を借りようかと頭を悩ませるようなありさまだった。

 でも、それでよかったのである。僕の買い物は単なる浪費ではなく、仕事に対する投資だったから、きちんと結果を出して回収しなければならないという気持ちが生じ、おのずと原稿にも迫力が出た。安全圏にいてぼんやり仕事をしている人とは緊張感が違う。

 いまは、若いのに老後に備えてしっかり貯蓄している人が多いかもしれない。しかし、30代で貯蓄なんか考えなくていいのだ。若いうちは赤字でも、戦うためにまず投資をする。いまの自分に投資できない人が未来をつかむことなんてできない。




企業の採用担当者は「遅咲き」の人に目を向けるべき

 新卒にこだわっている企業の採用担当者にも、「トーナメント思考」からの脱却を勧めたい。トーナメント戦によって人材を獲得する手法は、かえって優秀な人材を取りこぼすことになっているのではないだろうか。

 「10で神童、15で秀才、20歳(はたち)過ぎたらただの人」という言葉がある。学生のころは勉強ができていたけど、社会人になったらどこかへまぎれてしまって、何をやっているかもよくわからないという人が、みなさんのまわりにもいるだろう。一方で、「10でただの人、15で秀才、20歳(はたち)過ぎたらできる人」という逆のタイプの人間もいる。

 現在の採用システムでは、人間の成長過程から20歳くらいの時期だけを切り取って、人材を評価している。「遅咲き」の人はチャンスを与えられないのに、「早枯れ」の人には企業のリソースが注がれることになる。

 しかも、トーナメント戦を勝ち上がってきた「早枯れ」の人は打たれ弱いから、日本企業がリーグ戦のグローバル競争を戦っていくための戦力になりにくい。人生のリーグ戦をしぶとく戦って、負けても負けてもやり返す力を身につけた「遅咲き」の人に、日本企業はもっと目を向けるべきだろう。これからの日本企業、日本人に必要なのは、失敗や挫折を「突破する力」である。2011216






Last updated  2018年08月17日 14時02分29秒
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