連載「フーテン系のパトラ」 

連載「フーテン系のパトラ」(1) ・・・作 日野 真希雄 氏

わたくし、メスのトラネコで名前はパトラ。生まれはエジプト、じゃなく東京の浅草。母のクレオのまた母、つまりわたくしの祖母であるクロチャンの代の、そのまたずっと昔から代々住みついてきた、ちゃきちゃきの江戸っ子です。
 クレオとパトラ、繋ぎ合わせるとプトレマイオス朝最後の女王の名前になるという、いかにも由緒ありげなわたくしたち母娘に対し、祖母の名前が超庶民的なのは、クロチャンが野良ネコだったからです。
 ホームレスの未婚の母がシーザー様やアントニオ様に愛される女王様を産むぐらいのこと、わたしたちネコの世界では少しも珍しくないことなのよ。


連載「フーテン系のパトラ」(2)

 そうは言っても、わたくしが今日あるのはホントに幸運なことだったと思うのざます。
 なんでも、祖母のクロチャンは文京区駒込界隈の静かで安全な横丁に住んでいたのだと、わたくしの飼い主であるアーちゃんのご主人から聞かされたことがあるざます。野良にはもったいない、近所でも評判の美しい黒ネコだったとか。アーちゃんのご主人がこう言っていたざます。
 「ああいうのを“掃溜めにネコ”と言うんだな。」
 野良でなければ、きっと看板黒ネコとして宅急便のTVコマーシャルに出演できたかも。


 独身の頃、アーちゃんはニットのデザイナーをしていたざます。勤め先は繊維製品の問屋街として知られる日本橋馬喰町。住まいは駒込駅近くにある、新しくはない二階建て木造モルタル建築アパートの二階。敷地内には大家さん一家の家も建っていたのざます。

 大家さん一家は、定年退職した元ホテルマンのご主人、こざっぱりした同年輩の奥様、それにやはりホテル勤めをしている年頃のお嬢さんの三人家族。
 可愛い一人娘のためを思ってか、アパートは女性にしか貸さない男子禁制の館。敷地には高いブロック塀の上に有刺鉄線まで張り巡らされ、野良イヌはおろか痴漢も容易には侵入できない仕掛けになっていたのざます。

 若い頃、初めて北海道から上京したアーちゃんが最初に住んだのがこのアパートで、すっかりそこが気に入ったアーちゃんは、以来十七、八年、どこにも行かず嫁にも行かず、デザイナーになって収入が良くなってからも、ずっとこの安アパートの同じ部屋で暮してきたのざます。
 もっとも、アーちゃんは働き過ぎて身体を壊し、三十代半ばで会社を辞め、一年ほど郷里に帰って療養していたのざますが。
 失恋の痛みもあったのかどうか、口の堅いアーちゃんは話してくれたことがないざます。

 クロチャンがアーちゃんと出会ったのは、病が癒えたアーちゃんが再び上京してきた直後ざます。
 ニット業界に復帰したいと思いながら、当座のつなぎにと経理事務の職を得て浅草の酒問屋に勤めたアーちゃんだったのざますが、それからの人生がちょっと趣きを変えていくのは、ひょっとして、クロチャンと出会ったためかも…なんて思ったりするざます。

 クロチャンにとって痴漢はどうでもいいことだったのざますが、アーちゃんが住むイヌも近寄れないアパートが建つ敷地は、野良ネコにとってはまたとない絶好の住家。アーちゃんが郷里に帰っている間に、アーちゃんのアパートとその大家さんの家の縁の下を根城として住み着くようになったのざます。

 「あら、可愛い黒ネコ。」
 ある日、大家さんの奥様と庭で立ち話をしていたアーちゃんが呟いたざます。
 「野良ネコなのよ。すっかり住み着いちゃって…。ここが居心地いいのかしらね。でもお腹が大きいみたいで、縁の下なんかに子供を産まれたら困るわ。」
 そう言う大家さんの奥様もやさしい人で、その時はホントに困った顔もしていなかったということざます。


連載「フーテン系のパトラ」(3)

主人公の一人「アーちゃん」、名前が変わって「マーちゃん」になりました(笑。

 身重だと聞いてクロチャンに同情したマーちゃんが、会社から給食の仕出弁当の残り物を持ち帰って餌を作り、アパートの玄関横に回って縁の下のところに置いたのは、その翌日のことだったざます。

 始めは警戒してしばらく様子を窺っていたクロチャンざましたが、辺りに一向に人の気配がしないので、背を低くして地を這うように首だけ伸ばしておっかなびっくり餌に近づき、まず鼻をヒクヒクさせて匂いを嗅いでから、ご飯の上に乗っている一番美味しそうな残り物の煮魚をパクリと口に咥えると、すばやく縁の下に奥に逃げ込んだざます。

 そして煮魚を平らげるとクロチャンはまた餌に近づき、今度はマーちゃんが削り節を混ぜてくれたご飯をパクリ。一口咥えては奥に引っ込み、それを平らげてはまた餌に近づき…と、満腹になるまで何度も何度も出たり入ったりしたのざます。

 翌朝、餌を入れておいたタッパの容器が空になっているのを確かめたマーちゃんは喜んで、クロチャンの餌にと、また給食の残り物を持ち帰ってきたざます。

 こうして、クロチャンに餌をあげることがマーちゃんの日課の一つに加わり、給食のメニューにクロチャンが喜びそうなものがある時は、会社の他の人が食べた弁当の残り物まで集めて持ち帰るようになったざます。

 ある日、同じ北海道出身で仲良しの同僚サチコさんに訳を訊ねられ、実はこれこれしかじか、こういう訳なのよ…と語るマーちゃんの顔はとっても嬉しそうで、日ごろ無口なマーちゃんが、サチコさんも驚くぐらい能弁だったということざます。


 ある日、マーちゃんにサチコさんが言ったざます。
 「でも、野良は人に懐かないと言うわね。懐いてくれたら可愛いのに…。」

 サチコさんに言われるまでもなく、それはマーちゃんも思っていたことざます。

 懐(なつ)いてくれないことは寂しい。でも懐いてくれたところで、六畳一間のアパート暮しのマーちゃんには飼ってあげられる訳もないのざます。マーちゃんには、せめて身重のクロチャンが無事に子ネコを産みますように…と祈りながら、毎日餌をあげることしか出来なかったのざます。

 またある日、サチコさんがマーちゃんに訊ねました。
 「子ネコが生まれたらどうするの?」
 「大家さんの奥さんは、保健所に電話して連れて行ってもらおうって言ってるの。」
 「保健所に連れて行かれて、それからどうなるの?」
 「運良く貰い手が見つかれば引き取ってもらえるし、貰い手が見つからなければ…それで最後。」
 「殺されちゃう訳?」
 「そうみたい。」
 「可愛そう。子ネコも可愛そうだし、無理やり引き離して連れて行かれた子供が殺されてしまうクロチャンも可愛そう。」
 「他にしようがないわね。」

 しようがない…とサチコさんには答えたマーちゃんざますが、実は、そのことにとっても頭を悩ませていて、時々夢にまで見るほどだったのざます。

お話の続きはまた書いた時に・・・



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