いり豆 歴史談義

2009/03/28(土)08:14

ペリーの軍楽隊

歌は世につれ(3)

日頃、耳にしている色々な音楽。 歌謡曲・ロック・ジャズ・クラシック等・・・。 これらのほとんどが西洋音楽、もしくは、その影響を受けたもので、 今の日本の音楽というのは、欧米の文化がベースとなって発展してきたものであると、 つくづく感じます。 こうした西洋音楽が、いつ頃、日本に伝わってきたかというと、 古くは16世紀、キリスト教と共に入ってきた讃美歌がそうでした。 しかし、これは宗教と結びついたものだったため、一般には普及せず、 その後の禁教政策もあって、結局、日本に根づくことはありませんでした。 その次に、日本に西洋音楽が入ってきたのが幕末期。 そして、その最初の西洋音楽との出会いとなったのが、 ペリー艦隊が率いてきた軍楽隊による演奏でありました。 そこで、今回は、日本人が初めて本格的な西洋音楽と出会った時の様子について、 さぐってみたいと思います。 ペリーが日本にやってきたのは、嘉永6年(1853年)6月のこと・・・。 この時、ペリーが久里浜や下田などで、上陸・帰船するたびに ペリーの軍楽隊が、演奏を繰り返したといい、 その演奏は、愉快で軽快なものであったと「ペルリ提督日本遠征記」に記されています。 ペリー軍楽隊の様子については、写生画も残されており、 それによると、7~8人の人数で、 楽器も、小太鼓・シンバル・フルート・ラッパなど シンプルな編成であったようです。 ペリーは、こうした軍楽隊を2組、連れてきていたようです。 さらに、条約交渉も進んで、終盤になってくると 旗艦のポーハタン号に、日本側交渉委員を招いた午餐会が催され、 そこでのショータイムでも、愉快な演奏や出し物が披露されていたようです。 これには、日本側の交渉委員の間でも大うけだったようで、 日頃謹直な、全権の林大学頭でさえ、大笑いしていたといいます。 ところで、ペリー来航時、この軍楽隊が演奏していたのは、どんな曲だったのでしょう。 「ペルリ提督日本遠征記」の中で、演奏されたとして曲名が記されているのは、 アメリカ国歌とヘイル・コロンビアという曲。 他は、”愉快で軽快な曲”が演奏されたと表現されているだけなのですが、 それでも、研究家の間では、こうした曲が演奏されていたのではないかという 推定がされています。 ペリー軍楽隊が演奏し、当時、日本人が初めて耳にしたと思われる西洋の曲。 そのいくつかを、YouTubeから集めてみました。    The Star Spangled Banner  ご存知、アメリカ国歌です。    Heil Columbia ヘイル・コロンビア   当時、アメリカで愛国歌として親しまれていた曲。    Yankee Doodle ヤンキー・ドゥドゥル   アメリカ独立戦争の時に歌われていたという愛国歌。   日本では”アルプス一万尺”という曲名でお馴染みです。   日本では、愛国歌のイメージはありませんね。    Oh Susana! おおスザンナ フォスター作曲    Camptown Races 草競馬 フォスター作曲   「ペルリ提督日本遠征記」で”愉快で軽快な曲”と記されているのは、   フォスターの歌なのではないかとも推測されています。   ポーハタン号の午餐会でも演奏されていたのでは。 こうした、演奏を聞いた当時の日本人は、いったい、どのように感じたのでしょうね。 この時、日本人が、どのような印象を受けたのかについて、 記録は残されていないようです。 しかし、やがて、このペリー来航がきっかけとなって、 日本が西洋式兵制を取り入れていく過程の中で、 西洋音楽が、まずは軍楽という形から、 徐々に日本に浸透していくことになるのです。

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