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2010年07月25日
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カテゴリ:シリーズ幕末史

波乱に満ちた幕末の政治情勢を、最後に決着させることになったのが鳥羽伏見の戦い。

この時に、薩長軍が官軍であるということを、両軍に印象づけることになったのが、
”錦の御旗”であります。

幕府軍は、この戦いの中、薩長側に”錦の御旗”がひるがえったのを見て、
天皇に対して弓を引いているという観念を持ち、
その精神的なショックは、幕府軍の敗退につながる一因ともなりました。


この”錦の御旗”を用意することを発案・企画したとされているのが玉松操という人物。

彼は、幕末の最終盤になってから岩倉具視の腹心として参謀のような役割を務め、
決して表に出ることはなかったものの、その謀略と学才により
岩倉の政治活動を陰から支えました。

今回は、そうした玉松操と”錦の御旗”の制作秘話についてのお話です。


玉松操は、文化7年(1810年)の生まれで、京の下級公卿・山本家の出身。
出家して醍醐寺に入り、そこで儒学や国学なども修めて、
その学識の高さから大僧都法印まで務めたといいます。
この頃は、猶海という名前でした。

寺を代表する学僧にまで上り詰めたわけですが、
しかし、彼は異常なほどに、物事に厳格な性格で、
特に、当時の仏教界の堕落ぶりには我慢がならず、
醍醐寺の中で、徹底的な粛清・攻撃を繰り返して、
そのために孤立し、結局、寺を追い出されてしまうことになります。

その後は、還俗して細々と塾を開いたりしますが、
生活は困窮し、世間からも隠遁した暮らしを続けていました。

そこへ、そうした玉松を世に見出したのが岩倉具視であったのです。


慶応3年(1867年)
玉松操は、弟子であった三上兵部の紹介により岩倉具視の寓居を訪ねます。
そこで、両者は互いの性格とその才を認め合い、
玉松は岩倉の腹心となることを了承することになりました。

ところで、この頃の岩倉具視はというと、
こちらも京の僻陬の地・岩倉で謹慎中。

岩倉具視は、文久年間には、和宮降嫁において主導的な役割を果たし、
これを実現させた中心人物でありましたが、
これにより、幕府寄りの人物であると尊攘派公卿から反発を受け、
宮廷から排斥されて、幽居を続けていました。

それでも、最近の岩倉は、尊攘討幕の立場を鮮明にするようになっていて、
薩摩藩とも連携を始め、幽居の中で、密かに志士たちとの密議を重ねていたのです。

そうした中で、この幽居先において、
岩倉と玉松が、討幕のための策をめぐらせていくことになります。


時に、ちょうどこの頃、
薩長を中心とする討幕派と、大政奉還による平和的な政権移行をめざす勢力との間で、
せめぎ合いが続いていました。

そこで、討幕派によって計画されたのが、
天皇からの討幕命令である「討幕の密勅」の宣下です。

  詔す。
  徳川慶喜は代々威厳を借り、徳川一族の強大な武力に頼り、
  でたらめに勤王の志士を殺害し、しばしば王命に背き・・・

という書き出しで始まる、この「討幕の密勅」は、相当に過激な文章でありましたが、
この文を起草したのが、玉松操であったといわれています。

玉松操も、この頃には、討幕活動における黒子のような役割を果たし始めていたのでした。

ちなみに、この「討幕の密勅」は、
討幕のための大義名分を得ようとしたものであったわけですが、
結局、これは、同時期に提出された慶喜の「大政奉還」に先を越されたために、
空振りのような形になってしまいました。
(この「討幕の密勅」についての以前の関連記事は、 こちら  )


ところで、その一方、討幕戦に備え
”錦の御旗”を用意しておこうと玉松が言い始めたのが、この頃のことでありました。

そもそも、”錦の御旗”とは、
朝敵を討伐する時、その証として、天皇から官軍の大将に与えられるとされているもの。

古くは、鎌倉時代・承久の乱の時に、
後鳥羽上皇が、鎌倉幕府軍討伐のため、配下の将に与えたというのが
その最初であったといわれています。

しかし、これは、文献上に、そう書き残されているというだけのことで、
宮廷内に実在するわけではありません。

そこで、岩倉と玉松は、この”錦の御旗”を自分たちの手で作ってしまおうということを考えました。

史料をもとにして、旗のデザインを玉松が書き、
これを薩摩・長州、それぞれ一流づつ作るということが決められます。
そして、この実際の制作については、
薩摩の大久保一蔵(後の利通)と長州の品川弥二郎がそれぞれ担当することになりました。

旗の材料については、
大久保が京都市中で買い求めます。
一説によれば、大久保の妻が西陣まで買いに行ったのだとも云われています。

旗の制作については、
この生地を薩摩と長州半分づつに分けられ
玉松の描いたデザインをもとにして、それぞれ、別々に、手作りにて制作が進められました。

こうして、赤地の錦に、金色の日像と銀色の月像が描かれた”錦の御旗”が
ついに完成します。

密かに仕立てられたこの”錦の御旗”は、
一流は長州・山口の藩庁で保管され、
もう一流は、大久保の手で京都市街のとある寺の土蔵に隠されました。

やがて来るであろう、幕府との正面対決。

その時には、こうして密造、秘匿された”錦の御旗”が威力を発揮することとなり、
歴史を動かしていくことになるのです。






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最終更新日  2010年07月25日 21時20分12秒
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