いり豆 歴史談義

2011/05/21(土)08:42

大徳寺探訪記 ~ その2

シリーズ京歩き(61)

通常は、観光客に対して門戸を閉ざし、一般の拝観を行っていない 大徳寺とその塔頭寺院。 しかし、その中でも、普段から観光客を受け入れ、 一般の拝観を認めている塔頭寺院もあります。 龍源院 瑞峯院 大仙院 高桐院 それが、この4ケ寺。 先日は、このうちの瑞峯院を除く3ケ寺に行ってきました。 それらを訪ねてみると、同じ大徳寺の塔頭とはいいながらも、 それぞれ、趣きが全く違っていて、 意外なほどに、それぞれが個性的でありました。 龍源院 ここの方丈は、室町時代の禅宗建築をそのまま残しているとして、 重要文化財に指定されています。 この寺で特徴的なのは、昭和に作庭されたという大小様々な枯山水庭園が楽しめるということ。 一枝坦(いっしだん) 東滴壺(とうてきこ) ?沱庭(こだてい) など、それぞれの庭には、何やら難しげな名前がつけられています。 でも、なかなか見事なものですね。 禅の現代庭園を見てみたいという人には、おすすめの寺院です。 大仙院 ここの方丈も室町期の禅宗寺院の遺構がそのまま残っているとして、 こちらは、国宝に指定されています。 中でも見どころは、玄関と床の間。 いづれも、現存する日本最古のものであるとされています 部屋には、狩野派の障壁画(重要文化財)が並び、庭園もまた迫力があります。 ここの枯山水庭園は、室町時代の作という有名なもので、 国の特別名勝にも指定されています。 これら、大仙院の文化財と庭園というのは、 大徳寺の中でも特にレベルの高いものなのではないでしょうか。 しかし、ここの説明をしてくださった方の話しぶりが、 私には、どうも、押付けがましく感じてしまいました。 文化財が一級品ということはありますが、 禅語やお説教を聞いてみたいという人に、おすすめなのかも知れません。 高桐院 この寺は、ガラシャ夫人の夫としても有名な戦国武将・細川忠興ゆかりの寺。 忠興が父・藤孝(幽斎)の菩提を弔うために建立した寺院であります。 林の中の閑静な庵という感じで、今回訪れた大徳寺の塔頭寺院の中でも、 実は、私はここが一番気に入りました。 客殿に入っていくと、その南側が縁で開放されていて、 そこに庭が広がっています。 「楓の庭」と呼ばれている庭です。 一面の苔地の中に、ポツンと灯籠があるだけ。 特に何もない、ただの楓の林であるはずなのに、 それが何ともいえず、雅趣に富んでいます。 忠興という人は、勇猛な武将ではありましたが、 その反面、和歌もたしなみ、茶の湯においても 「利休七哲」の一人といわれる千利休の高弟でもありました。 「三斎」という号でも名を知られていて、 当時でも、超一流の文化人であったのだと思います。 そう考えると、この庭も、 忠興の、文化人としての感性の豊かさが現れているようも感じられます。 茶人としての細川忠興(三斎) この高桐院には、忠興や利休ゆかりの茶室や書院もあり、 見どころがいっぱいです。 茶室・松向軒(しょうこうけん) 利休の茶を忠実に継承したといわれる忠興好みの茶室です。 広さは二畳台目。 秀吉が催した北野大茶会の際に作った茶室を、 ここに移築したものであるともいわれています。 書院。 意北軒(いほくけん)と名付けられています。 もともとは、千利休の邸宅であった建物を移築したものなのだそうです。 この後、高桐院もう一方の庭、西庭におりてみました。 この西庭にも、歴史の逸話を今に伝える史跡が、いくつか残されているのです。 袈裟形の手水鉢 加藤清正が朝鮮の役の時に、朝鮮の羅生門の礎石を持ち帰ったものだと云われていて、 その後、清正が、忠興に贈ったものとされています。 笠欠けの灯籠 これはもともと、千利休秘蔵の灯籠で、 利休が「天下一」と名付けて大切にしていたものでありました。 ところが、秀吉がこれを欲しがって、譲ってくれぬかと言ってきたために、 利休はわざとこの裏面を欠けさせて、 「惜しくもこれは疵になってしまいました。」といい、 秀吉の請いを断ったという逸話がこの灯籠には残されています。 裏から見ると、確かに大きく欠けています。 後に、利休が切腹と決まった時、利休はこれを忠興に贈与。 忠興もまた、この灯籠を、ことの他大切にし、 参勤交代の時にさえ、江戸まで、これを持ち歩いたと伝えられています。 その後、この灯籠は忠興の死にあたり、 その希望により、これが忠興の墓標とされました。 この墓には、忠興とともに、ガラシャ夫人が一緒に葬られているのだそうです。 *** このように、大徳寺の塔頭寺院というのは、 戦国武将が建てた寺や、ゆかりの寺というのも、とても多いです。 高桐院の他にも、 加賀の前田家(芳春院)、福岡の黒田家(龍光院)や 三好長慶(聚光院)、石田三成(三玄院)、小堀遠州(孤篷庵)、 信長の菩提寺(総見院)などがあります。 又、今度、公開される機会があれば行ってみたいですね。 大徳寺において、 通常、一般公開されている寺院が4ケ寺だけになっているということは、 大徳寺を観光地化から守りつつも、世間とのつながりを保っていくのに、 丁度よい割合になっているということなのかも知れません。 それだけ、大徳寺には、 歴史の息吹きが閉じ込められているということなのかも知れない、と、 今回、大徳寺を歩いていて、そんなことを感じたりもしました。

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