いり豆 歴史談義

2012/06/10(日)17:58

備中高梁の旅・その2 ~吹屋ふるさと村

地域の歴史・伝承(31)

「ベンガラ色の町並で知られている吹屋ふるさと村という銅山の町に興味がある。」 とは、旅の計画をしている中での楊ぱちさんからのリクエスト。 古い町並みが残っていて、なかなか良さそうなところなので、 備中松山城の後は、そこへ行こうと決めていました。 *** 備中松山城から降りてきた時間が、ちょうど昼の12時頃だったので、 一旦、駅まで戻って、昼食を取ろうとタクシーを呼びました。 途中、タクシーの運転手さんに「吹屋ふるさと村まで、どれくらいかかりますか?」 と聞くと、30分くらいとのこと。 「吹屋ふるさと村へ行かれるんかね。」と聞かれ、 行くつもりにしているけど、まず、駅の近くで食事をしてからというような話をしていると、 どうせ、ふるさと村に行かれるなら、このままふるさと村に行ったらどうか、と運転手さん。 「昼飯なら、ふるさと村で美味いうどん屋を知ってるから、 着いてから食事にすりゃ~ええが。」 料金についても、観光目的のタクシー利用は、30分につき1000円の助成が出る 備中高梁市の制度があり、割安になるということ。 結局、3時間タクシーを借切りにして、吹屋をまわることにしました。 でも、まあ、吹屋ふるさと村というところは、交通の便が悪いため、 元々、タクシーで行くつもりでしたから、丁度良かったんですが・・・。 駅方面に向けカウントされていたメーターをクリアして下さって、 一路、吹屋ふるさと村へと向かいます。 タクシーの車中。 この運転手さんが、また良く、喋る、しゃべる。 平安時代の希少なよろいが発見され、それを買う機会があったのに、 買わずに惜しいことをしたという人の話や、 ふるさと村を訪れた芸能人の裏話、ふるさと村の観光情報等など。 さすが、観光タクシーの運転手さんですね。 観光客の興味を、よくご存じでいらっしゃる。 そうした話を聞いているうち、いつのまにやら、吹屋ふるさと村に着いていました。 吹屋ふるさと村。 ベンガラ格子の家並みが続く、その町並みがとても素晴らしいです。 思わず、おーっと声を上げたくなるくらい。 想像していた以上に、すごく情緒があります。 昼食を済ませるや、さっそく町並みを歩きました。 明治期の商家跡「郷土館」 江戸時代からのベンガラ釜元の屋敷である「片山邸」など。 座敷や米蔵、女中部屋などを見て回っていると、 まるで、時代がタイムリップしたかのような雰囲気があります。 そして、この町並みからはずれて、少し歩いたところにあるのが「吹屋小学校」。 つい最近まで児童が通っていた現役最古の小学校校舎。 今年3月に廃校になったとして、ニュースでも取り上げられていましたね。 100年以上も小学校として、児童たちが通い続けていた、この木造校舎。 実際に訪ねてみると思ったより立派な校舎で、風格のようなものさえ感じます。 こんな学校に通ってみたかったな、と思うほどに、歴史を感じさせる校舎です。 家に帰ってから、吹屋地区の歴史についても、少し調べてみました。 吹屋の歴史というのは銅山とともに、という感じですが、 この銅山の存在は、平安時代の頃から知られていたようです。 戦国時代には、ここをめぐって尼子氏・毛利氏による争奪戦が行われ、 江戸時代に入ってからは、幕府直轄の天領とされました。 本格的な銅山開発が進められたのは、江戸時代中期くらいのこと。 これにより、銅の採掘量も飛躍的に増えていきます。 そして、さらに、この吹屋の名を高めたのは、 銅とともに、ここから掘り出されていた酸化鉄を加工するということを始めたこと。 これが、塗料や染料として用いられるベンガラであり、 この製造・販売により、吹屋の町は江戸から明治にわたり繁栄を極めます。 ベンガラ格子が続く家並みというのは、 この頃の繁栄の様子を、今に伝えるものなんですね。 さて、このベンガラ色の街並みを離れ、 タクシーで、吹屋のもう一か所の見どころへと向かっていきます。 ひと山超えて向かったこの地区にも、 吹屋、繁栄の歴史を今に伝える遺跡が残されているのです。 江戸から大正にかけて、銅の採掘が行われていたという鉱山跡。 「笹畝坑道」です。 入口に置いてあるヘルメットをかぶり、鉱山の中へと入っていきます。 中はとても薄暗く、でも、意外と広くて、結構、距離があります。 少し不気味な坑内ではありますが、鉱山の中の様子がとても実感でき、 これも、なかなか経験できないことかなと思います。 明治の頃のベンガラ工場の様子を復元したという「ベンガラ館」です。 吹屋に繁栄をもたらした、このベンガラというのは、 吹屋が全国にさきがけて製造を始めたものだったということで 当時においてベンガラというのは、きっと、画期的な商品だったのでしょうね。 この銅山とベンガラ製造により、巨万の富を築いたという富豪の邸宅跡「広兼邸」です。 このとてつもなく大きな邸宅。 石垣の上に建てられている、この建物は、まるで城郭のようであり、 いかに、この富豪が大きな富を手に入れていたか、ということがわかります。 この広兼さんという人、横山大観のパトロンをしていたともいうことで、 大観が龍を描いたというついたても、部屋の中に飾ってありました。 この壮大な屋敷は、映画「八つ墓村」のロケ地にもなったのだそうです。 *** 午前中に行った備中松山城も良かったけれど、 この吹屋というところも、とても興味深かったですね。 ご案内頂いた楊ぱちさん、そしてタクシーの運転手さん、 大変、お世話になりました。 今回の備中高梁の旅は、本当に印象に残る、充実した一日でありました。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る