いり豆 歴史談義

2012/08/19(日)21:16

平等院鳳凰堂

シリーズ京歩き(61)

宇治の平等院・鳳凰堂。 十円硬貨の図柄になっているということでも、有名ですね。 でも、この鳳凰堂、十円硬貨だけではなく、一万円札の図柄としても使われています。 裏面に印刷されている鳳凰の姿。 これが、鳳凰堂の屋根につけられている鳳凰をデザインしたものなんですね。 平等院は、ユネスコの世界遺産にも登録されていますし、 鳳凰堂は、もちろん国宝でもあります。 まさに、日本を代表する歴史建造物なのだと思います。 平等院を訪ねるのは、何年ぶりでしょうか。 一度、一人でじっくりと見て回りたいと思い、 先日、宇治へと行ってきました。 歴史の年輪を感じさせる建物。 ひとつひとつが、まさに平安時代と出会えるといった感じがしてきます。 この鳳凰堂、中に入ることも出来るんです。 鳳凰堂の内部。 もちろん、写真撮影は禁止なのですが、 本尊の阿弥陀如来とも出会い、 空中を舞ういくつもの仏像・雲中供養菩薩にもお会いしてきました。 そして、その壁面と天井には、九種類の菩薩来迎図が描かれています。 落剝が進んでいるので、その片鱗くらいしかわからないですが、 でも、この鳳凰堂の凄いところは、一度も火災や戦禍にあったことがなく、 すべてが、平安時代そのままの形で残されているということです。 パンフレットの写真から、その様子を少し、ご紹介しましょう。 国宝・阿弥陀如来坐像と鳳凰堂の内部です。 おだやかな表情ながらも、威厳に満ちた阿弥陀様。 平安期仏像の最高峰とも言われている阿弥陀像です。 この阿弥陀像を作ったのが、平安時代を代表する仏師といわれている、定朝という人。 木を彫って仏像を作る場合には、どうしてもこれほど大きな仏像は作れないのですが、 木をつなぎ合わせて、仏像を作ることができれば、大きな仏像を作ることも可能です。 この手法が「寄木造」と呼ばれているものですが、 この「寄木造」の手法を完成させた人が、定朝であったのだといわれています。 その後の仏像彫刻に絶大な影響を残した定朝。 この阿弥陀如来坐像は、定朝の作ということが確認できる唯一の作品なのだそうです。 そして、壁面にいくつも並んでいるのが「雲中供養菩薩」。 全52体からなる様々な菩薩像で、その一つ一つが、国宝に指定されているのだそうです。 少し、クローズアップしてみましょう 雲に乗った様々な菩薩たち。 琴・琵琶・笛・笙・太鼓など楽器を奏でている菩薩。 宝珠・幡などを持ち祈っている菩薩。 舞っている菩薩、合掌している菩薩。 それぞれが、思い思いの姿をみせていて その伸びやかなさまは、とても魅力的です。 平等院内にある博物館(鳳翔館)では、そのいくつかが常時展示されていて、 そこでは、「雲中供養菩薩」をごく間近で見ることができます。 平等院が建立されたのは、平安後期にあたる永承7年(1052年)のこと。 時の関白・藤原頼通が、父道長の別荘であった宇治殿を寺院に改め創建したものであります。 当時は、優雅な王朝文化が花開いていた時代ではありましたが、 しかし、その反面、天災や飢餓などの社会不安が広がり、 仏法が廃れ末法の世が訪れると信じられていた時代でもありました。 そうした、時代背景の中、広まってきていたのが浄土教信仰。 平等院は、極楽浄土を強く願う人々の思いが込められたものであったのだということができます。 鳳凰堂の前に池が広がるという配置になっているのも、 経典に描かれていた極楽浄土の世界を模したもので、 それを、ここに再現しようとして作られたものなのでありました。 平安期、浄土教美術の頂点が集約されている、この鳳凰堂。 深く刻まれた歴史がそこにあるといった感じが、ひしひしと伝わってきて、 内面からも沸き上がってくるような、鳳凰堂にはそんな迫力がありました。 この鳳凰堂、来月9月3日より、 屋根の葺き替えや塗装など、1年半に及ぶ修理に入るとのこと。 しばらくは、その姿が見れなくなるのですが、 改装なった鳳凰堂がどんな姿を見せてくれるのか、 ぜひ、楽しみにしたいものだと思っています。

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