与謝野晶子と京都
御目ざめの 鐘は知恩院 聖護院 いでて見たまへ 紫の水与謝野晶子には、京都のことを詠んだ歌が多く、そうした歌碑も市内のあちらこちらに残されています。この歌もその一つで、晶子が与謝野鉄幹と一緒に、京都を訪れた時に、詠んだ歌であるとされています。蹴上浄水場の歌碑与謝野晶子は、生まれが大阪の堺で、代々和菓子を商っている老舗の商家で育ちました。幼い頃から古典文学に親しんでいた晶子は、若くして歌にその才を発揮していたといい、そうした中、堺で行われた歌会において、与謝野鉄幹と知り合うことになります。たちまち、鉄幹に恋心を抱く晶子。しかし、鉄幹自身は、妻子を持つ身であり、それに加え、晶子と同じく鉄幹に思いを寄せる、もう一人の女性がいました。それが、新進の女流歌人である山川登美子。やがて、登美子は、歌の道において、さらに、恋においても、晶子のライバルとなっていくことになります。師弟をめぐって続いていく、微妙な三角関係。しかし、そんなある日。鉄幹は、2人を京都へと誘い出しました。泊りがけで、秋の京都へ。鉄幹・晶子・登美子の3人は、紅葉色づく永観堂を訪ね、池の鯉に、椎の実を投げたりして遊びに興じます。才気にあふれ情熱的な晶子と、清楚な風情を持つ登美子、対照的な2人ではありますが、それぞれ、鉄幹に向け想いを寄せていきます。しかし、結局、登美子は、親が勝手に決めてきた縁談を断れなくなったことから、故郷の福井へ、帰らざるを得ないことになってしまいました。そして、その後の晶子は、鉄幹の後を追って上京。鉄幹も前妻と離婚し、鉄幹と晶子は結婚することになります。こうして、恋の勝者となった晶子。歌の方でも、さらなる冴えを見せ始め、「みだれ髪」が大好評を博して、当代を代表する女流歌人となっていきました。八坂神社の歌碑 清水へ 祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき与謝野鉄幹が、京都で生まれ育った人だったということもあって、晶子は、その後も、鉄幹と一緒に京都を幾度も訪ねています。特に、永観堂には良く行っていたようで、かつて、鉄幹と初めて京都を訪ねた時の思い出も、歌に残しています。永観堂の歌碑 秋を三人 椎の実なげし鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき一方、鞍馬寺には、晶子の書斎だった建物もあります。この書斎は、晶子が50才の誕生日のお祝いとして、弟子からもらったものだったといい、元々は、東京の荻窪にあったものを、ここに移築したのだといいます、鞍馬寺の歌碑 何となく 君にまたるるここちして いでし花野の 夕月夜かな与謝野晶子の歌を、改めて、こうして並べてみると、みな、どことなく、おしゃれで、綺麗な歌が多いですね。それでいて、すごく情感がこもっている。歌づくりについて晶子は、「和歌がうまくなりたければ、恋をしなさい。」と、常々、弟子たちにそう話していたといいます。与謝野晶子は、情熱的な歌人と評されることも多いですが、その一方で、恋する人のみずみずしさが表れているということが、晶子の歌に、より魅力を与えているのでは、と、そんな感じがします。