Boys, be ambitious!
札幌・羊が丘展望台に立つ銅像で有名なクラーク博士。フルネームは、ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)といいます。 クラーク博士といえば、「青年よ、大志を抱け」”Boys be ambitious!”という言葉がよく知られていますが、この言葉にはその続きがあります。 Boys, be ambitious! not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.「青年よ、大志を抱け! 金のため、または利己的栄達の為でもなく、 ましてや、人呼んで名誉と称する空しきもののためにでもない。 人として、まさに、かくあらねばならぬ全ての事を達成せんとするために、 大志を抱け。」クラーク博士はアメリカ・マサチューセッツ州立農科大学の農学博士で、明治9年(1876年)、北海道開拓使長官であった黒田清隆に招かれて来日し、札幌農学校(今の北海道大学の前身)の草創期に教頭として活躍しました。博士は、専門の自然科学の講義の他、「右手にはペンを、左手には鍬を」という理論と実践による教育、キリスト教による道徳教育など、当時においては画期的な内容の授業を行いました。クラーク博士の任期は8か月という、極めて短かい期間ではありましたが、その人格と卓越した教育方針により、先駆者と呼ばれる人物が輩出されていったことにより、後世に、少なからぬ影響を与えたといえます。その代表的な人物が、内村鑑三と新渡戸稲造。彼らは、札幌農学校の2期生で、直接クラークから教えを受けたわけではありませんでしたが、クラーク博士から教えをうけた1期生達により、その精神が継承されていたのでした。また、2人はクラーク博士が残していった「イエスを信ずるものの誓約」にも署名し、この時期にキリスト教に感銘を受け、キリスト教信者となっていきました。そうしたクラーク博士が、日本を離れる際にその教え子たちに最後に残した言葉が、”Boys, be ambitious!”で、教え子たちに、人としての生き方を伝えようとしたものであったのです。 やがて、この言葉は、北海道のフロンティアスピリットを代表する言葉として全国に広がり、世々受け継がれていくこととなったのです。私の義母の念願だった北海道旅行。私と私の家族4人と一緒に、札幌の旅に行ってきました。札幌ドームでの日本ハム戦観戦や、 札幌ではお決まりの、こんなところも行ってきました。 そして、帰りは おそらく、一生に一度しか出来ないであろう、少しだけ豪華な旅。格別の、思い出深い旅でありました。