町 vol.1 (冬の友達)
冬の空はライトブルーだ。薄い雲が幾筋かのびていて時間が止まっているようにみえる。しかし時間は確実に進んでいて突如として夜になる。何の名残もなく突然に。生命が終わりをつげるにふさわしい季節になってきた。目が覚めると冬の夕日の名残がまさに消えてゆくところだった。いつの間にか部屋は暗くなっている。昼寝から目覚めた時間が夕暮れだといつもきまって何かさみしい気持ちが残っている。寝る前は窓からライトブルーの空が見えていたのに。いつものようにROCKETの半分閉まったシャッターを押しあけて強制的に開店してもらうとアキラにカールスバーグの生ビールを注文した。アキラは同じ年の秋田県出身の自称イケメン。タイ人の細君とたいていケンカをしている。石川町に店を出したのが、オレがこの町に引っ越してきたのと同じだから、なんだか親近感がある。ROCKETから石川町の夜が始まる。なすとひき肉のピリ辛炒めのお通しをツマミにビールを飲んでいるとアキラが、「そういや、最近、シマ子のやつみねぇな」「ああ、あの野良猫ちゃんね」「ちょくちょくこの界隈で散歩してるんだけどね。ここ一週間くらいみないのよ」そこにタイ人の細君、チャニタがご出勤。チャニタは「営業」と称して何人かのお客さんと昼間から飲んでから出勤する。今日も、ご常連の佐藤さんと一緒だ。「あ~ら、マッサンいらっしゃい~。いつもイチバンのりね、あはは、ヒマね~」「あ~ら、チャニさん、今日もご機嫌みたいだね。よかった。佐藤さん、こんばんは」「おう、マッサン、アンタも早くいいひと見つけなよ。×2だって大丈夫だから、あはは」あはは、じゃねぇよとは言わず、最後の一口のビールを流し込み、アキラにお代わりを注文する。ついでに、海鮮パエリヤとヤムウンセン(タイ風春雨サラダ)を注文する。そう、ROCKETはスパニッシュなのだが、細君の影響もありタイ料理もだす。なかなか器用なイケメン、アキラである。「今日、シマコきた?」チャニタが尋ねる。来たらきたで追い出すのがチャニタだ。「いやあ、今日も来てないんだよね。心配なんだよ」アキラは本当に心配そうだ。佐藤さんも「昨日さぁ、隣のケイコにいったんだけどマスターも心配してたよ」ケイコは焼き鳥屋だ。店主はハゲのオッサンでケイコという名前ではない。なぜケイコなのかと聞いたことが30回くらいあるが、覚えていない。たいした意味はないのだろう。「そうか、みんなみてないんだね。でもノラちゃんだから、どこに住んでいるのかもわからないからどうしようもねぇな」と佐藤さんが締めくくる。ROCKETのタイ料理は本格的だ。ヤムウンセンはピリ辛どころか激辛だ。春雨とエビと野菜が甘酸っぱいソースで絡めてあるが、ここに生の唐辛子を入れてあるので刺激が強い。3杯目のビールを飲んだところでヤムウンセンとの格闘を終えたところで、雲行きがあやしくなってきた。「アキラサン、浮気してるのよ」チャニタが急に食って掛かる。いつものパターンだ。「やめなよ、みっともない」佐藤さんがたしなめるオレは慣れているので無視して海鮮パエリアにとりかかる。うん、ダシが効いていてうまい。なかなか千円で食える代物ではない。きっと有名料理店だと三千円はとられるだろう。ビバ石川町。「こないだお店にいた若い女の子、アキラサンのこと好きなのよ」「そりゃ、イケメンだから人気あるんだよ。いいじゃない、お客さんきてくれるんだから。 アキラが浮気している証拠ないだろ」「だっていつも帰りは遅いし、休みもいないことあるんだから、浮気なのよ」アキラはだまっている。イケメンだが、田舎者で元来おしゃべりではない。苦手なのだ。しゃべるのも、ヒステリックな妻も。チャニタは8歳年上なのでひがんでいるのだ。嵐がすぎるのを待つしかない。「なにも言わないのね、アキラサン、いつも無視。なんか言ってよ」「いや、言うもなにも、浮気してないよ」アキラがぼそりと言う。 ぼそりと言うからチャニタに火をつける。「じゃあ、昨日はなんで遅かったのよ、一昨日は?」「そりゃ、この辺の付き合いがあるからさ、Amiのヤスさんとか、きらくの大将とか、わかってよ」「アタシ、ほっとかれてる」 佐藤さんが撤退準備を始める。「アキラ、お勘定」「はい、千五百円です」 オレはパエリヤを食べ始めたばかりで、ビールがまだグラスにたっぷり残っている。 撤退には時間がかかる。 佐藤さんが撤退したのち、チャニタの目にみるみる涙があふれたかと思うといきなりキッチンの脇の 金庫をあけて、中のお札をビリビリとやぶって宙に捲いた。 あっという間のできごとに、アキラもオレもどうすることもできずただたたチャニタを見守っていると、チャニタはそのままどこかへ行ってしまった。 アキラとオレはちりじりになったお札を集めて金庫に戻すと、店を閉めて近所のバー「日暮し」でお疲れ様会をひっそりと開いた。「日暮し」はこじんまちとしているが本格的なバーだ。 マスターの笑顔が少しいやらしいので誤解を与えるが、ホモでもゲイでもない。 シックな店内は一枚板のカウンターに間接照明がしっとりと落ちている。まだ客はいなく、お札事件のあとの「お疲れ様会」にはぴったりだ。 「最近、うまくいかなくてね。こまってるのよ。更年期もあると思うんだけど。 時間がたつのを待つしかないかな」 オレはこの手の相談にこたえることができない。苦手なのだ。だからだまってシングルモルトウィスキーLAPHROAIGを舐める。ピートががつんと効いた、すこし正露丸をおもわせる香りのウイスキー だ。困っている、という相談を聞きながら、自分もどうしようかと困っているときに飲むと、ウイスキーの苦みがより深く味わえることに気付いた。 真剣になやんでいる人間を前に、適当なことを思いつく自分はなんて無感傷な人間なんだろうとつくづく思う。 日暮しのマスターは今日の事件を知らない。が、雰囲気を悟ってか、違う話題をふってきた。「ねえ、シマコ最近みた?」 シマコは推定年齢10歳くらいのメスのネコだ。いつから石川町に住み着いたのかはわからない。たいてい、石川町の飲食店で残り物をもらっている。近所の人々に可愛がられている町猫だ。白と茶色のしましまがあるので、シマコ。だれが名づけたのかそう呼ばれている。 オレは、シマコはかわいいと思うが触らない。近寄らない。家にはオッチョンという7歳の雄猫がいる。シマコがノミとかもっていてオッチョンに移ったら大変だからだ。「さっきもね、ウチのお客さんも言ってたよ。ケイコでもみてないって。」「心配だね」「そうだね」「チャニタもどこいっちゃたんだろうね」オレは話を蒸し返す。「え、チャニさん家出?だから、こんな早い時間から飲んでるんだ。早く探しにいきなよ、こんなとこで飲んでないで」 アキラとオレはチャニタの行きそうな石川町の店を一軒一軒覗いたが、みつからなかった。 ただ、少しずつ飲んでいい感じに酔っぱらっただけだった。 あとはカラオケスナック「凡々」くらいかな、と足を向けかけたとき、ちらっと路地から顔をだしたネコの影をみつけた。「あ、シマコ?」せまい路地をトコトコとかけていく猫の影を追う。次の曲がり角をまがったところで見失ってしまった。このあたりは飲食店の裏ですこし古い住居がのこっているエリアだ。猫が隠れる場所はたくさんある。一度見失ったら探し出すのはとても難しい。「あ~、シマコだったかな、残念だな」 チャニタの捜索はすでにアキラの頭にはないようだ。一体、ネコと人間とどちらが大切なのだろうか。とりあえずオレ達は一旦、「日暮し」に戻ることにした。 「へぇ!シマコみかけたんだ、そりゃよかった。この辺にいるってことだよね」先ほど、早くチャニタを探してこい、と発破をかけたマスターはいま、シマコに夢中である。ネコと人間とどちらが大切なのだろうか。「そういえば、マッサン、ネコ飼ってるじゃない。いつも写真みせてくれてさあ。ネコ好きなんでしょ、探してよ」「いや、ネコを飼ってることと、探すことができることはイコールじゃないよね」「そりゃそうだけど、ネコ好きはあってるでしょ?」「まあね」「じゃ、きまり、マッサンがネコを探して!」 困る。頼まれると断れない。ネコ探しをすることになってしまった。 翌日、日曜日をつぶしてシマコ捜索を開始した。昨夜、チャニタはすでに家で眠っていたとアキラからメールが入った。返す刀でシマコ捜索に協力依頼をメールしたが、いまのところ既読スルーされている。夕暮れ時にはまだ少し早い。冬の割には陽の暖かさを感じて町にでかける。ネコ探しがなければこんな平和な時間はない。 とりあえず、昨夜シマコ(らしきネコ)を見かけた路地に行ってみる。このあたりは元町にちかいところで土日は歩行者天国だ。天国というほど人は多くないが。昨夜、ビルとビルの間の隙間の路地にシマコは入って行った。そして、消える直前、こちらを振り返ったような気がする。まるでオレ達がついてくるのを確認するように。昨夜と同じように路地を抜けると古い平屋建ての家が数軒ならんでいる。オレはネコ用の缶詰をあけてスプーンで鳴らしながら、シマコ、シマコ、と呼びかける。もちろん、恥ずかしい。周りからみたら怪しい中年男が女の名前を叫んでいるのだ。缶詰をたたきながら。冬の空は今日もライトブルーで乾いた風を運んでくる。シマコ、シマコと叫ぶオレにだんだん冷たくなってきた風がふきつける。ギィーギィーと鳥が鳴く。そろそろ黄昏時が近い。オレは近くの自動販売機で暖かいコーヒーを買って飲んだ。そういえばと、スマホを見るとメール着信あり。アキラとチャニタが二人でこちらに向かっているという。昨夜の迷惑料としてネコ捜索を手伝うのはむしろ当然だ。オレは少しだけ元気を取り戻し、ネコ探しへ再びとりかかった。数分後、アキラとチャニタが合流した。二人の間にはまだマリアナ海溝よりも深く広い溝がはっきりと見える。そう、仲直りはしていない。理由はどうあれネコ探しを手伝ってくれるのはありがたい。オレたちは手分けをして古い家の軒下や物置の下、屋根の上などネコがいそうな場をひとつひとつ見て回った。年をとってひとりで暮らすのはさびしいものだろうかとしみじみ思いながら、ネコをさがす。夕日が陰ってきた。ネコは夜行性だからこのくらいの時間が勝負だ。隠れていた場所から出てくるかもしれない。オレたちは手に手にネコ用缶詰をもち、シマコ、シマコと叫びながら住宅街を練り歩いた。ふと、チャニタが立ち止まる。「いま、ネコの声しなかった?」「え、聞こえなかったけどな」「アキラさんは若い女の声しか聞こえない」「もう、やめなよ。で、どの辺から聞こえたの?」「そこの家のどっちか」シマコ、シマコ、シマコやーい、呼びかけて10秒待つ、シマコー、シマコー呼びかけて10秒待つ、かすかに、ニャン。「あ、聞こえた」シマコー、シマコーすると、ある平屋の引き戸の隙間から見慣れたネコの顔が見えた。シマコ!シマコはオレ達の顔を見ると隙間の奥へ消えた。シマコの入っていった家の玄関口でチャイムを鳴らす。もしかするとシマコは飼い猫で、ここの家で飼われているのじゃないか、などと考えながら応答を待つ。10秒、20秒、30秒。もう一度チャイムを押す。ピンポン~。10秒、20秒、30秒。気配もない。シマコー、シマコー家の中に向かって呼びかける。暗くなりかけたが夕日の最後の一筋が家の中を照らす。シマコが玄関からつづく廊下でひっそりと立っている。オレ達を待つように。ニャン。「どうする?入ってみる?」オレは問いかけるが、アキラもチャニタも何も言わない。不法侵入だしな。ネコっていっても自分ちの飼い猫じゃないし。「ここ、石川町×丁目の町内だよね。町内会館あるからそこで聞いてみようよ」アキラがナイスアイデアをだす。シマコが出て行かないように、玄関の引き戸を閉めておく。これくらいは許されるだろう。 町内会館に行くと、役員と思しき淑女が話をきいてくれた。「ああ、吉川さんの家ね。あそこ一人暮らしなのよ。もうお年だから町内会でもお声かけして気にはしてるんだけど」「呼びかけても全然反応ないんですよ。気配すらない」「ちょっと心配ね。あなた、交番のお巡りさん呼んできてくれないかしら」 最近の交番は警官が詰めている時間が少ない。案の定、「巡回中」の張り紙がしてあった。 オレは交番のなかの電話をかけて事情を話すとすぐに来てほしいと告げた。 そしてたっぷり一時間後、制服の警官がふたりで石川町×丁目町内会館に到着した。 町内会の淑女は自宅で夕飯の支度があると言って帰ってしまったので、オレ達は警官と一緒に、「吉川さん」のお宅へ向かった。なんどかチャイムを押して呼びかけても反応がない。 警官たちが顔を見合わせて、うん、うんとうなづいている。「じゃあ、ちょっと開けてみますか」 ガラガラと立てつけの悪い引き戸をあけて玄関にはいる。 「こんばんは、吉川さん、いらっしゃいますか?」若い方の警官が呼びかける。 中をのぞくと奥の部屋からわずかに明かりがもれている。 オレ達は靴を脱いで玄関にあがる。ぎしりという軋みが妙に大きく聞こえる。 家の中は静まり返っているが、外では車の音がとおく聞こえたり、人の声がきこえる。まるで部屋の中だけが時間に取り残された空間であるような気分に陥った。「吉川さ~ん、いらっしゃいますか?」さらに警官が呼びかける。明りのもれてくる部屋は、古いふすまが15cmほどの隙間を残して閉められている。恐る恐る、年配の方の警官がふすまをあけると、6畳ほどの居間にはコタツが出されているのと、テレビと年代物の箪笥があるだけだ。そして小さな座椅子に眠るようにして吉川さんが座っていた。背中を少し丸めて頭をたれている。シマコは吉川さんのひざのあたりにちんまりと座ってこちらをみている。ああ、シマコはずっとここにいたのか。警察と救急がかけつけたときもシマコは部屋の隅でじっと「吉川さん」をみつめていた。吉川さんは昨夜すでに亡くなっていたとのことだ。シマコはたぶん、気づいていたのだろう。吉川さんがもうすぐ亡くなることを。だから吉川さんのそばにずっとつきそっていたのだ。そしてとうとう昨夜吉川さんが亡くなった。シマコは誰かに伝えたくて必死に町で知り合いを探したのだろう。吉川さんをほっておきたくなくて。シマコがいなくなったこと、昨夜見かけたことは偶然ではなかったのだ。吉川さんとシマコはきっと友達だったのだろう。そしてオレ達をみつけたシマコにとって、またオレ達も友達だったのだろう。吉川さんがいなくなった部屋でシマコは名残惜しそうにコタツ布団の周りをうろうろしては、においをかいでいる。オレ達三人は取り残された部屋でひんやりした空気につつまれてじっとシマコをみつめている。友達を失ったシマコはさびしそうだ。オレはシマコに呼びかける。「さあ、帰ろう。みんな待ってるよ。」オレ達三人は吉川さんの家を出た。シマコがとことこと後ろをついてくる。チャニタも今日ばかりはシマコを店に入れてくれるだろう。チャニタがアキラに言う「昨夜はごめんなさい。私が先に死ぬかもしれないけど、ネコに看取られるのはさびしいから、アキラサン、お願いね」ROCKETで海鮮サラダの具のタイをうまそうにシマコが食べ始めた。一仕事終えたシマコが町に帰ってきた。