お金がなければ生活できない部分
<田中優さんの5月15日のメルマガより抜粋>ふきのとうが食べられなければ、やっぱりスーパーで産地を調べながら買うしかない。水も問題だ。そうなるとスーパーでミネラルウォーターを買うしかない。イワナもヤマメも汚染されているからスーパーで買うしかない。それぞれはたいした値段ではないが、今まで採れていたものを買わなければならないことは生活を貧しくする。 これが重大なのは、「おカネがなければ生活できない部分」を増やしてしまうことだ。 都会に住む私たちは、「おカネがなければ生活できない」ことを当たり前に思っている。しかし違うのだ。 自然が豊かにそこにあることは、おカネがなくても暮らせる生活を担保してくれるのだ。いわば貯金だ。豊かな水があり、山菜が生え、魚や動物など豊かな自然のあることが、私たちの命を保証してくれるのだ。 ところがそれを汚染してしまった。東電は補償してくれない。賠償はおカネで考えるだけだから、昨年の収入金額との比較でしか賠償されない。しかしこれは違う。支出額で比較すれば、明らかに昨年より増えてしまっているはずだ。山菜も水も魚もその場で食べたり飲んだりできないのだから。ところがそれは、「今年は浪費しすぎているんじゃないですか」の一言で捨てられてしまう。ぼくはこの部分に大きな経済があると思う。今回の福島第一原発事故で、私たちはとても貧しくなった。 そしてまた一歩、自然から遠ざかることになった。次に食べられるのは、セシウム134,137を合計して100分の1以下になる150年以上先だ。 それまでふきのとうが食べられるものであることを、人々は覚えていられるんだろうか。 ぼくは実現したいと思って進めてきたのは、カネに頼らなくていい部分が生活の大部分を占めるような暮らしだった。 カネに頼らなくていい部分が広がれば、貧富の格差も今ほど大きな問題ではなくなるし、働くことも奴隷のようなものではなくなる。 水は雨水利用すれば水道代、下水道代が少なくなるし、省エネ製品と自然エネルギーを入れれば電気も買わなければならないものではなくなる。何世代も使える住宅になれば、ローン地獄に追われてそのために一生を捧げるような暮らしから逃れられるだろう さらに北欧のように医療費と学費が無料になれば、人々の暮らしはあくせくせずにすむ豊かなものになれるだろうと考えてきた。 そのために融資を役立てていければいいと思ってきた。 ところが今回の事故が、人々の依って立つ基盤を汚染してしまった。 「持続する志」 http://tanakayu.blogspot.jp/ ユーストリームで、何度か講演を聴いていてメルマガの購読もしているのですがアレコレ見てると、見たり見なかったりのメルマガなんですが~今度からもっと見ようっと(*^^*)だって、こんなことについていきたい!(人ではないよ 笑) くもり。