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カテゴリ:日々のこと
これはまだお金に余裕があった時に買った球根…パーロット咲きの赤い花が咲き出した。 節約生活をしなくてはならなくなったきっかけについては、正直書けない。書けないというより、まだ言葉にしてしまうと、暮らしの輪郭が必要以上にはっきりしてしまう気がしている。だから今は、「そういう事象があった」とだけ置いておく。 急にやってきた「お金がない生活」は、想像していたような崩壊ではなかった。むしろ静かで、日常の形を保ったまま、選択肢だけが少しずつ削られていくような変化だった。 スーパーに行けば、美味しそうなものがたくさんある。 今なら、春の終わりのイチゴが美味しい季節だ。赤くて、つやがあって、見ているだけで少し気持ちが明るくなる。香りもいい。でも同時に、それは簡単には手に取れないものでもある。「美味しそう」と「買える」の間に、小さな距離ができる。その距離を意識するようになったのは、こういう暮らしになってからだと思う。 家族に「今はどんな果物が旬なのかね?」と聞かれた。 その問いは、ただの会話のようでいて、今の自分には少しだけ重たい。答えは頭の中に浮かんでいるのに、それをそのまま形にする余裕がない日もある。「今は買う余裕がないから」と、心の中でだけ流す。言葉にしないまま、話題ごとそっと棚に戻すような感じだ。 それでも、何もかもが閉じているわけではない。 むしろ、何を選ぶかが以前よりもはっきりしてくる。旬のものを、今の生活に合う形で取り入れる。華やかさよりも、続けられることの方が大事になっていく。 『天狗の台所』の中で描かれるような、旬をあますことなく受け取る感覚は、少しずつ自分の中にも入り込んでくる。そこには派手さはないが、確かに「食べて生きている」という実感がある。 ベランダに植えた小松菜の種も、その延長線上にある。 まだ何も見えない土を見ながら、これがいつか食べられるかもしれないと考える時間は、不思議と不安だけではない。小さな希望の光が混ざっている。 この生活は望んで選んだものではない。 けれど、ただ失われたものとしてだけ見るには、日々の中に考える余白が多すぎる。何を減らし、何を残し、どう食べていくのか。その繰り返しは、たしかに何かを学んでいる途中なのだと思う。 答えが出る種類の学びではない。 それでも暮らしは続いていく。今日はまだ芽の出ない土と、スーパーのイチゴと、言いかけて飲み込んだ会話のあいだで、その距離を静かに見ている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.04.27 11:55:30
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