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カテゴリ:日々のこと
「笑顔」という、いかにも出来すぎた名前を持った椿だった。色も形も、これでもかというほど“明るい家庭”を演出するために用意されたような花である。 新婚の家の庭は、まだ何も決まっていないはずだった。どこに何を植えるかも、どんな庭にするかも、住む人間の手に委ねられているものだと思っていた。 だが、そこはすでに完成していた。 少なくとも、誰かの頭の中では。 椿を植えたのは私の両親だった。事前の相談などという面倒な手順は省かれ、「いいと思ったから」という便利な一言で片づけられた。とても満足そうだった。そこに悪意はない。ないからこそ厄介なのだが。 まるで「新婚家庭にはこういう“明るい象徴”が必要でしょう?」と言わんばかりに、庭の真ん中に既成の笑顔が置かれた。こちらの趣味も、静けさも、まだ何も育っていない余白も、当然のように無視されて。 私はそれを見て、なるほどと思った。 庭とは、どうやら所有するものではなく、勝手に装飾されるものらしい。 迷惑な話である。 こちらが時間をかけて考えようとしていた庭の空気は、「笑顔」という名の明るさによって、あっという間に方向づけられてしまった。何も決めていないはずの場所に、すでに「正解」が置かれているのだから、あとはそれに合わせて暮らすだけだ。 その後も椿は、毎年わざとらしいほど、にこやかに咲く。笑顔満開とはこのことである。 こちらの気分などお構いなしに、同じ色で、同じ形で、「こういう家庭であるべきです」という顔をして。 おそらくそれが、あの人たちの見たかった庭なのだろう。 少なくとも、こちらの考える
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最終更新日
2026.04.29 19:03:20
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