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カテゴリ:本のこと
さんまいのおふだは、変質者から逃げる話でもある 子どものころに聞いた昔話は、大人になってから急に違う顔を見せることがある。 最近あらためて思うのだが、さんまいのおふだは、「山姥こわい!」という単純な怪談ではなく、かなり切実な“逃走の話”なのではないか。 知らない相手に追われる。 距離感がおかしい。 執着が強い。 こちらの境界を踏み越えてくる。 いま読むと、妙に現実味がある。 そして同時に、「女の業は強いから怖い」という話として読まれてきた面もある。 昔話には、女の情念を巨大なものとして描く型がある。 あの山姥も、ただの怪物というより、“人の執着が肥大化した姿”に見える。 だから怖い。 大きなストレスを感じたとき、私はあれを思い出す。 大入道みたいに巨大化した不安。 夜になるとさらに大きくなるやつ。 しかし、さんまいのおふだには突破法がある。 最後、和尚が山姥を豆粒にしてしまう場面だ。 そして口に入れて、ガリガリ噛んで、飲み込んでしまう。 あれはかなり乱暴な解決なのだが、妙に示唆的でもある。 つまり、 「巨大に見えるものも、サイズを変えれば処理できる」 ということなのかもしれない。 不安を一口サイズにする。 そうすると、人間は案外飲み込める。 それにしても、さんまいのおふだは子どもに人気がある。 怖い話なのに、いや、怖い話だからこそなのだろう。 そして、読み聞かせは体力勝負だ。 本気を出して読むと、後半でちゃんと息が切れる。 「待てぇぇぇぇぇぇ!」 「小僧ぉぉぉぉ!」 と、オババがハアハア追いかけてくる場面あたりで、読み手もだんだん呼吸が荒くなってくる。 これが妙に話と合っている。 追われる側だけでなく、追う側の疲労まで、読んでいる人間の身体に乗ってくるのだ。 お寺へ駆け込む頃には、こちらもかなり息が上がっている。 だから、あの話は“読む”というより、半分は“走る”に近い。 以前、私のようなババアが息を切らせながら、 「ハア……ハア……待てぇ……!」 などと読んであげたところ、子どもたちはちゃんと怖がっていた。 非常によい反応だった。 昔話は、読み手が少し本気を出すと急に生々しくなる。 鬼ばさの声。 小僧の焦り。 ああいうものは、文学というより、かなりフィジカル寄りの芸なのかもしれない…おすすめです。 ところで、一番最後の1行の意味知っていますか? 「いちごさかえた なべのしたがりがり」 「いちごさかえた」は「一期栄えた」、つまり「その後、幸せに栄えて暮らしました」という意味で、越後(新潟)の昔話の結び言葉です。 そして「鍋の下ガリガリ」は、鍋や囲炉裏のある日常の音。昔ばなしは農閑期の冬の長い夜に囲炉裏のそばで語られるものだったそうです。 恐怖から生還し、ふたたび日常へ戻らせるための言葉なんですね。 とてもいい表現です。
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最終更新日
2026.06.01 18:42:56
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