|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ちょっとヤらしい話で申し訳ないんだけど。
気を悪くされる方がいたらごめんなさいね。m(_ _)m いろんな受け止め方がある中のひとつとでも思ってください。 「金八先生」って、まだやってるんですね。。。(-。-)マジカヨ まあ、僕も金八の泥臭い芝居の元ファンではあったんだけど、ちょっと毒舌をば。 2年前に半年やって、最終回で人事異動で飛ばされて、それっきり美しく散って、金八シリーズは金輪際おしまいだと思ってたんだけどね。 まあ、もっと続けたいという気持ちがあるんだろうなあ、主役も制作者側も、とは思いますが。 けれど、視聴者の意識調査みたいなものは頭に入ってるのかねえ。 「金八先生」ファンの人たちには申し訳ないんだけど、こないだチラリと見てみて、疑問を胸に抱きましたですね。今日もやってるのか。 勝手に私が思っただけなので、気に入らなければ聞き流してくださいねー。 確かに、若者の問題の多様化、という社会背景はあって、問題視する向きはあると思うんだけど。 それに対峙する担任の坂本金八の態度が、ちょっと傲慢というか、生徒と同じ目線じゃないんですね。見下ろしてるというか。 これは仕方ないことだと思う。それだけ歳とってるわけだから。 だったら辞めたほうがいいんじゃないの、などと思ってしまうんですね。 確か、私の記憶している昔の金八というのは、生徒たちと同じ目線に立って、なおかつガッチリと目の前の生徒の問題を受け止め、生徒と一緒に問題解決をしていく(それがいい方法だったかどうかは別として)、等身大の「話せる先生」ではあったはずである。 それができなくなっているのは、生徒と彼らを取り巻く環境に問題があるから、ばかりとも言い切れない。ついていけてない教師の側にも問題があると思うのだ。情報にうといとか、勉強不足とか。 その、先生側の勉強不足をさしおいて、社会(=生徒たちの家庭環境やその周囲)の問題を、社会がしっかり向き合わないといったことに対して、一方的に「問題だ」といわんばかりに、ドドンとクローズアップさせている。それで、それを金八は正義の味方よろしく、数々の問題に対峙し、解決していくことに、たぶん物語の中ではなるんだろうね。 だいたい、子どもの問題に対して、学校を舞台にして、一担任ふぜいが、子どもの育成の「司令塔」となって一身に担って取り組もうという考え方が、ちょっと時代錯誤のように思います。 というか話のつくりが浅はかに見えるなあ。 金八のアプローチ方法がまかり通じたのは、たぶん20数年前の、はじめの頃の「金八先生」の舞台なればこそでしょう。 今もなおそれができる、というのはもしかしたら教師にとっては理想かもしれないけど、幻想に近い話だ。 たぶん、それがわかってる大人たちというのは、これが自分の子どもの教育環境の理想だ、という目で「金八先生」なんか見ないだろうね。祈ってもできないことだからね。 反抗期の子ども達が、大人以上にシニカルに見てる可能性だってあるから、金八があたふたしてるのを見て嘲笑してるかもしれない。聞いたことないからわからないけどね。 生徒たちの間におけるドラッグの流通に関する話、というのが今回はストーリーの大きな柱になっているらしいが、この話は実話なのか。その根絶に、学校が「倫理」を旗印に自力で徹底解決に取り組めるのか。 その解決マニュアルにこのドラマがなりうるとでもいいたいのか。そこまで考え抜かれたストーリーづくりなのか。疑問である。単に視聴者にストーリーを見せて面白がらせることが目的なら、やめたもらったほうがいいように思うけど。 子どもはこういう、メディアで取りざたされてる話題から刺激を受けやすいんだからね。 武田鉄矢は、先生役が大好きなんだというのは、これまで見てきてたぶん間違いないと思うけど、できないことはやらない勇気も大事だよ。 むしろ、自分の後継者を育てる側に回って、いざというときにはそれをサポートする、という生き方のほうが、学校の先生としてはベターな選択だと思うんだけどなあ。 たぶん、「金八学区」の、金八の後進は、大勢育ってるに違いない筈なのだ。その芽を摘み取ってることに気がつくべきだと思うけど。 現場の最前線を若手から奪い取って、ふんぞり返って座ってる、という生き方も、今の世の中にマッチしてない。残念ながら指導力のない「現場独裁者」「老害」といわざるを得ない。 物語の脚本中で、アホ役にまわっている生徒とかその親とか、校長先生とか学校の外の悪役たちも、茶番につきあわされてかわいそうな気もするけどどうなんだろうねえ。 「悪役」としてもあんまりカッコよくないし。武田鉄矢の引き立て役というのもどうもねえ。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
November 26, 2004 11:01:16 PM
|
|