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『頭ぐしゃぐしゃ』の彼方に・・・

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chang-wei

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February 13, 2005
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『ぼくの話を聞いて欲しい』(クリスティアン・D・イェンセン・著、山下 丈・訳、講談社+α文庫)という本を読み終えました。
先日、「こういう本を読んでます」という話をここにも書いたのですが、まだ読んでいる途中だったので、読み終えて思ったことなどを改めて書いてみたいと思います。

この本の著者(男性)は、9歳から3年間、父親の知り合いの男性から、性的虐待を受け続けたのだといいます。つまり相手は同性者。
この手の、自分の嗜好目的で子どもを虐待する虐待者というのは、一般的にあまり激しい暴力を振るったり過激な行為をしたりしないのだそうです。
理由は、虐待者本人ではないからよくわからないのですが、遺恨を残すことを恐れる気持ちというのがあるのかもしれません。

そのご多分にもれず、著者もまた、「ちょっとした嫌がらせ」にはじまる、ややエスカレートして不快で仕方のなくなるような辱めを受けます。
そしてその都度、直後にいやに親切で思いやりにあふれたような態度を見せられ、あたかもそのことを帳消しにするかのようなことを云われ、あるいは「これはお前が望んで、合意の上でやったのだ」と云っていやいや納得させられるのです。

そしてその「うやむやにされたこと」というのが、著者を後々苦しめ続ける結果となってしまったのです。
つまり、年配の男性にされたホモセクシャルな嫌がらせというのを、もしかして自分が望んでやったのではないか、ということへの苦悩です。
子どもの時分の経験というのは、なかなか脳裏の片隅にこびりついて離れないものなのではないですかね。自分では「そんなことはない」と否定してみても、心の底では不気味に虐待者の声が響いてくるというか。

それだけではない。大人になってからもなお、幼時の虐待の記憶が時折頭をよぎり続けるために、とくに夜などが不安と恐怖でいっぱいになってしまって仕方がない。
その不安や恐怖から逃れたい一心で、アルコールとセックスの依存症に陥ってしまい、なかなかそこから逃れられない。

虐待する大人にも何か、その問題行動の背景となる経験があったのかもしれない。だからその背景となる問題を解決すれば、虐待者は問題行動をもしかしたらやめるのかもしれない。けれど、そんなことは、本人がそれを克服しようと思わない限り問題行動が治まるとも思えません。
「被害」を受けてから何年もの後、このかつての虐待者を、著者は告発しようと試みます。けれども本人がとぼけて事実を根本的には認めようとせず、また行政や司法の対応も、著者本人にとって非常に融通の利かない結果しかもたらさず、一時著者は絶望感に浸るのです。

著者は、はじめは虐待者の問題行動を恨み、次に行政や司法を恨み、苦しみます。
彼の苦悩の解決に協力してくれたセラピストたちは、その次の段階として、彼自身の意識の改善を提案します。
つまり、彼自身が変わらなければ、何も改善できない、けれども、彼が変わることによって、すなわち世の中や人を見る目が変わることによって、彼の悩みは改善される、ということ。

児童虐待事件については、それを行うことの罪深さというのは、子どもの将来の精神や神経におよぼす影響などを考えると、許されない行為であることはいうまでもないと思います。
しかし、その虐待によって障害を負ってしまった人が立ち直るのに、加害者を責めることというのは、どうやらメリットにはなりえないようです。

同義的に、加害者には被害者へその罪を償わせたい気持ちは生じますし、償うべきだとは当然思います。ですが、それとこれとは別問題のことのように思います。
被害者がはじめのうち、受けた虐待行為に対して恨みつらみが出てくるのは当然だし、それを並べたり、加害者に「僕の青春を返せ!」と責めたくなる感情は、当然湧いてくることでしょう。
ただ、実際に問題を抱え、その解決をセラピスト求めているのが被害者本人である以上、セラピストは被害者本人としか接点を持てない。つまり加害者は被害者の問題解決とは別の世界にいるのです。偶然にも同じセラピストに、加害者がかかっていることもあり得ないとはいいきれませんが、基本的には別のケースとして扱われます。
同時にグループセラピーをしたりできれば別ですが、それは難しいかもしれません。家族等の身内同士に対するものであれば別ですが。つまり他人は変えられない。

自分自身の問題解決が一番の近道であり、最善の方法であることに、著者自身がようやく気づいたのは、心理療法を受け続けている途中のことでした。
心理療法を施している間、セラピストたちは、彼が彼自身の内面を見つめ続け、自分自身の内部の問題を自力で解決できるための方法を、彼自身に考えさせ続けました。
次第に彼は、トラウマをもたらした虐待者への感情よりも、自分自身をどうコントロールできるかに意識を集中させていくようになったといいます。
そして数年にもわたる時間をかけた後、彼は社会復帰を遂げることができたのでした。

私が、自分が心身に不調をきたしてカウンセリングを受けたとき、やはりはじめは不調の原因となって周囲のことばかりに目がいって、そのことばかりぶちまけようとしていたように記憶しています。
けれど、セラピストはそれに対して「そういう貴方自身はどうなんだ?」というふうに切り返してきて、その次に自分自身の問題と向き合うことになりました。
これはかなり苦しい作業であり、愚痴を聞いてもらったり癒しを得ようとしているのに、これは随分な仕打ちだなあ、と当初は思ったものです。
けれど、自分が最終的に立ち直るためには、自分の内面をよく見つめなおし、改善すべき部分を改善する必要があったのです。

この本のストーリーの核は、もちろん児童虐待に対する怒りと問題提起だと思うのですが、最後は、著者自身の問題解決に終始しており、いろんな観点から読めて興味深い話だと思いました。
最後の部分には、自分自身の体験も当てはめて、共感を感じて読み終えました。





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最終更新日  February 13, 2005 05:20:09 PM


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