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最近、ある50代後半の男性作家が、同窓会で腹を立てていたというエッセイを読んで、しばしケラケラ笑ってしまった。
彼の青春時代というのは、まさにビートルズが全盛の頃だったわけなんだけど、彼はビートルズのサウンドを、落ち着かないという理由で好きになれず、もっぱらニール・セダカだのポール・アンカなどのポップスを好んで聴いていたという。 ところが、あるとき彼の高校時代の仲間と同窓会をすることになって、懐かしい仲間が顔をそろえたのだが、宴が進むうち、その中の約2名が、 「みゆき族にアイビールックにビートルズ、いやあ懐かしいなあ」「やっぱり俺たちは、ビートルズ世代だもんなあ」などと話しはじめた。 彼はケッと云ってそっぽを向いた。 なぜならこの2人は高校時代、ビートルズなどには目もくれず、もっぱら舟木和夫とザ・ピーナッツに夢中だったというのを、知っているからだ(笑)。 彼らの隣で、高校時代、クラス一のワルだった同窓生がニコニコ笑ってる。 彼は高校時代、ビートルズのレコードを、バイト先のレコード問屋でこっそりせしめてはテープに録音し、クラスメイトに無理やり高価で売りつけては小遣い稼ぎをしていた。 「よう、100円でどうだ?」と、この作家氏も何度か声をかけられた経験があるという。 この同窓会のメンバーが「ビートルズ世代」なんていうのはおこがましい。 あえて云うなら、「ビートルズ世代」と胸を張って云っても許されるのは、元不良の彼だけだ! と彼は心の中で叫びましたとさ、というところでこのエッセイはおしまい。 笑っちゃったのは、こういう話になるようなケースについて、わからないこともないというか、かつて私の身の回りにもあったような話だなあ、と思ったりしたわけアルネ。 ちなみに私は、学生時代などに、特に「こういう曲が好きだった」と、懐かしく云えるような音楽は、ほんのわずかしかない。さびしいといえばさびしいかもしれないけど、さびしくないといえば大してさびしくない。 だが、我が学生時代というのは、今よりもずっと、ロックからニューミュージックから洋楽にいたるまで、本当にいろんな音楽が「息長く」流行っていて、友達の好みも、それぞれバラエティに富んでいて、いろんな友達から音楽の話を聞いて、その話を思い出しながら実際にその曲を聴いてみるのは、それなりに楽しかったけど、私には、それらの音楽の大半は、正直あんまり好きになれなかった。 強いて今も心に残る音楽を挙げるとしても、ごくわずかにすぎない。 そうこうしているうちに、やがて就職し、何年か経ったあるとき、職場仲間との酒の席で、ふとした折に話が途切れ、有線の歌が耳に入ったのがきっかけで、音楽の話になった。 すると困ったことに、同じ部署の後輩Aが、 「先輩の学生時代は、どんな音楽を聴いてたんですか?」などと、社交辞令的というか、場つなぎ的な質問を投げかけてくるわけアルネ。 私が何も答えられずにいると、横にいた同期の超体育会系男・Bが、 「まあ俺らの頃っていったら、やっぱりサザンとロッド・スチュアートかなあ?」 などと素っ頓狂なことをぬかす。 こないだ上司に連れられて行ったカラオケで、彼が演歌一筋で、サザンじゃなくて「さざんかの宿」などのド演歌を熱唱していたのを知ってる私は、「え゛~~!?」と思わず指差したくなる気持ちを抑え、あいまいにうなずく。 「へえーサザンですかあ。自分はやっぱりオザキですね、オザキの魂の叫びにも似た歌声に、自分は心底恋焦がれましたよ」 ちなみに尾崎豊が大嫌いな私は、そういう発言をする奴を、気持ち悪いとさえ思う。 な~にが「やっぱりオザキ」か。だいいち「魂の叫び」は、U2だべした。 だが、そこは職場の同僚同士。道理をわきまえた私は、貝のように口を閉ざすのだった。 「ああオザキねえ、いいよなあオザキは」 Bはオザキというのを、「また会う日まで」の尾崎紀世彦だと思っているに違いないのだ。 こうして、互いの話が通じてるんだか通じてないんだか全くわからんような、不毛な話はこのあと果てしなく続いて、表面上すっかり意気投合したAとBのペルソナコンビは、そのあとカラオケ屋に行って、朝まで歌い明かしちゃったりなんかしたらしい。 カラオケの席で、Bが演歌一筋だということがAにバレたかどうかは、定かではないけど、普通だったらバレるだろう(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
January 13, 2006 09:11:29 PM
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