2006/02/20(月)20:10
「病気」という位置づけ
最近、政府広報(公共広告機構?)のCMで、社会不安障害(SAD)を扱ったものを見かけますね。
不勉強だったので、「対人恐怖症」とか「不安神経症」とどう違うのだ? とか、いろいろ考えてしまいました。
なんでも、SADと診断される人は、日本だけで300万人近くいるんだとか。
これが、今話題のニートやひきこもりの原因のひとつとも云われている。
って、土曜の「東スポ」の、オヤジ向け健康コラムに紹介されてたものの受け売りですけど(笑)。
よく知らなかったのだが、どうもSADは、脳の活動の活性化のために作用する、セロトニンという物質の分泌がうまくいかなくなることによって、発生するとのこと。
その点は、うつ病にも共通しているな。
社会不安の症状と思われる自信喪失とかシャイネスって、脳が元気に働いて、心身に活力が与えられることで、「どりゃっ!」と吹っ飛ぶような気も、確かにする。
それがうまくできない、というのもあるのでしょうね。
SADを「病気」とされることに対しては、かかった人各自それぞれ別に、違う考えを持たれるのではないかと思いますねえ。
特に症状の重さの度合いというのが、考え方に反映されるのではなかろうか。
自分がうつに罹ったとき感じたのですが、ひどい状態のときっていうのは、「病気だから、薬を投与してゆっくり休むことだ」と公私共に認められて「治療」に専念できるほうが、楽だと思う。
なにしろ、こういう症状というのは、日本の社会環境下にあっては、症状の軽重を問わず十把ひとからげに「甘ったれ」「怠けもの」扱いになるだろうからねえ。
逆に、軽度のSADの人は、病気扱いされることを嫌がる人が多いだろう。
例外として、「疾病利得」といって、病気にかかって周りからいたわってもらうなど「いい思い」をして、その味をしめる(云い方が悪いかもしれないけど)場合というのがあるかもしれない。
たとえば、SADを理由に殻に閉じこもってしまい、それを自分の中で正当化する場合など。
この症状というのが、実際にどういう具合に進行していくのかとか、見分け方とか査定・診断の仕方というのが、私にはまだよくわからない。
けど、今後もっとよく、このSADのことを理解したいとも思っています。
引きこもりやニートの人たちの背景に、「心の病」としてSADが存在するのなら、不勉強のまま過ごすわけにはいかない。