玉藻

2006/05/25(木)22:51

blogの宿命。

TBネタ(24)

今回のネタ元→ココとココ。 奇しくも、pgが好きなblogで『blog論』が展開されておりました。 BUBIさんの『遠き山に日は落ちて・・・』では、読み手と書き手の受け取り方の問題が。 >まあ、普通は誰も「責任」なんてあまり考えずに、テレビの前で、ニュースを見て、「これってどうなのよ」と思ったことを書いている感じなのでしょう。私だって我が身を振り返ればそうかも^^; ブログというのはそういうもので。 >ただ読む方の立場からはそうじゃない。「誰が」書いているかがけっこう重要で。だからこそ、私たちが書くのと、元日テレのアナウンサーが書くのとでは、位置付けが違うわけです。 >物を書く側と読む側・・・ >自分の書いたものが、どう解釈されるか、どう受け取る人がいるか、どんな立場の人が読むのか。 pgは以前にも書いた事があるのですが、blogには『blog芸』というモノが必要であって、『芸の力』がないと長続きしないし、面白くないと思っています。 これは、もちろん書き手が有名人だとか、たくさんのfanがいる著名人などの場合は、その人の日常をかいま見る日記公開で十分面白味があるのですが、一般市民の誰ともしらない人が書いた日記で「明日から試験です」とか「今日髪を切りに行きました」なんぞ、面白くもなんともない、「へぇえ~そう。で?何がいいたいの?」という反応しか返ってこないのだ、という意識が基本にあります。 blogはその性質上、回転が早く、話題が豊富でないとすぐに飽きられるオソレがあります。 日々刻々と過ぎ去る時間を上手に使える人か、思いっきりひまな人か、そのblogの情熱傾けて、睡眠時間削ってまで書こう!という熱意のある人でないと、息切れしてしまうわけです。 以前、一人一ホームページ時代という流れがあって、ソフトの力を借りれば誰でも簡単にホームページが開設できる状態にありました。 けれど維持がたいへんで、一般市民の多くのホームページは閉鎖や開店休業状態。 今でもこつこつとホームページの更新をなさっている方には、きっと確固たる信念があるにちがいないというまでに、ホームページの存在は淋しいものになっている、とpg自身は感じています。 一般市民は手軽なblogに移行し、気軽に日常の出来事をwebに流すようになりました。 そこで、提供側もあれこれと工夫したり、blogのひな形をバラエティに富んだものにして、本腰を入れだしたのですが。 それが、『対局日誌』のGO!さんがお書きになった >ブログの環境はドンドン良くなっている。 の一文に集約されているのではないかと。 pgはこの文に非常に共感します。 ただ、後半のこの部分にも。 >半面、囲碁ブログの熱気は冷め気味な気がするのは私だけだろうか? >ブログブームそのものが、もう去ったのかなぁ? これは、blog制作側の意見として、またblogサーフィン者の意見としても非常に興味深い感想です。 pgは自分のblogをすでにいくつかに分けることを考えて、それなりに行動したわけですが、GO!さんの仰るような脱力感も感じていまして、時すでに遅しの感が胸に迫ります。 どうしてこうなったのかは、ただ単に自分の怠惰のせいなのでしょうが、やはり一時盛り上がったものも、いつしか引き潮のように去っていく定めは、一つ一つのblogだけではなく、全体のテンションにも大きく影響する。そんな感じなんですよね。 いつしか、良いモノだけが淘汰されて、残るblogは本当に『人気のあるメガblog』だけになるかも。 囲碁blogの分野もしかり。 自力のあるblogだけが、残るのかもしれません。 電脳は日進月歩というより、秒進分歩。 囲碁の『次の一手問題』より、全く先が読めないです。

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