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僕は昔から、親戚の人たちに可愛がられて育ってきました。
田舎の北海道は日本の他の地域と違い歴史が浅く、同族が一地域を占めているってことはないのですが、父ちゃんの兄弟やいとこなどが近くに住んでおり、わけへだてなく交流していました。 また、母ちゃんの兄弟もちょっと離れていますが(北海道のちょっとは…)、結構交流があったもんです。 みんな我が子のように、時には厳しく、時には優しく接してくれました。 納豆を食べられるようになったのはあのおばさん、箸の持ち方を躾けられたのはこのおばさん、キノコ採りをしたのはあのお兄さん…と、キリがありません。 みんなの愛情をたっぷり注がれていたんです。 今になってやっと感じることが出来ます。 心から、本当に感謝しています。 2年前くらいでしょうか、母ちゃんのお姉さん(長女)の旦那さん。そう、僕から見たらおじさんが、なんだか物忘れがひどくなってきたと聞きました。 ・・・このおじさんは小学校の先生で、自然を愛する人でした。 僕が小学校4年生のとき、余市岳という山に一緒に登りました。初登山です。 今でも鮮明に覚えていますよ、苦しかったけど頂上に着いたときは本当に嬉しかった なぜかこの夫婦には子供がいなかったので、可愛がってくれました・・・ その話を聞いたのは、定年退職後。 もう年だからすこしボケ気味なのだろうと思っていたのですが、それはものすごい勢いで進行しました。 そう、それはあの「アルツハイマー」だったのです。 今の医学では治らないといわれています。 どんどん脳が侵され、まるで赤ちゃんに戻っていく様。 最後には自分で食べることも出来ず、待っているのは「死」。 おじさんはまだ元気でいますが、そろそろ自分で食事をするのが困難になってきました。 なんでこんなことになってしまうんだろう。 二人で定年を向かえ、これからゆっくりと生きていくはずだったのに! おばさんになんて言葉をかければいいんだ。 おばさんは、「お父ちゃん(旦那さんをこう呼ぶ)がそんなことになるはずがない」、という気持ちが心の中からぬぐいされない。 ここまで元気で来たのに、お父ちゃんの病気そして死が近いことを受け入れられない。 当たり前だ。おばさんは諦めちゃいないんだ。 いくら医者が言ったところで簡単に諦められるはずがないっ。 毎日毎日必死で面倒を見ている。 僕は今遠くに離れていて、おじさんやおばさんともしばらく会ってない。 だから、とても悲しいけれど、おじさんの死が近いことを受け入れることができる。 おじさんとおばさんの為に自分が出来ること。 それを探しました。 それは、一緒に悲しむことではなく、サポートしてあげること。 おじさんが亡くなったときのことを考えること。 おばさんは、お父ちゃんが死んだときのことなんて考えられない。今は心が拒否するはず。 だから僕が考える。 おじさんが安らかに眠れるように。 そして、残されたおばさんが「死」以外で悲しむことのないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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