D51 2
旧京都駅の島式ホームの反対側で出発準備をしているように見えたブルートレインは、日本を代表する貨物用蒸気機関車としておなじみのデゴイチの2号機でした。ふつうD51の記事ということになると、お約束のように蒸気の貨物機であるとか、C型とD型の違いであるとか、最大生産台数のことが話題になるものですが、それはマスコミや他の方にお任せするとして、ここで申し上げたいのは、梅小路に新しい博物館施設ができると、D51もC62と同様に1号機と2号機とが一同に会すことになるということです。日本で最大の蒸気機関車として有名なC62に加えて、一番人気でポピュラーなD51についても、トップナンバーと2号機が揃うというのは、保存展示施設だからという理由を差し引いてもなお他では真似のできない素晴らしいことです。新施設では、ぜひともこのインパクトを最大限活かした話題づくりと展示方法を実現していただき、C62とD51が4両並んだ扇形庫からスワローエンゼルが仕業を始めるシーンを演出していただきたいと願っています。さて、当機に関する私個人の興味関心といえば、なめくじ型の初期型になじみがなかったということもあり、煙突からキセ・エンドまでのケーシングの形態であるとか、砂撒管がどのような形状をしているのか、といったことでした。また、本機で興味深かった、といいますか気がついてしまった点としてはキャブに製造銘板が存在しなかったことですが、昭和11年川崎車両製と案内板に記載がありました。とはいえ、画竜点睛を欠くというものではないかと思いますので、梅小路展示までに復元をお願いしたいです。その案内板を転記すると、「昭和10年代、貨物が激しく増えつづけ、より強力な蒸気機関車が必要となって製造された大形の貨物用蒸気機関車である。長年つちかってきた知識と経験のすべてがそそがれ性能、実用性ともにすぐれた蒸気機関車となった。昭和10年代に1,115両が製造され、昭和40年代ころまで全国で貨物輸送をになったが、やがて電気やディーゼル機関車と交代してすべて廃車された。製造両数、性能ともに日本を代表する蒸気機関車であった。」感謝!