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今日はここのところざわつき情緒不安定な己の心を鎮めるために、午前中に岡崎市内の教会におもむき、 しばしの間独りたたずんでおりました。 心を落ち着かせたところで自宅へ戻り、家内と昼食を食べて何気なくヤフーのHPを見たら 「アイルトン・セナ没後20年」の記事が載っていました。 ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 1994年F1グランプリ第3戦として開催されたサンマリノグランプリは 1.予選1日目(4/29):ルーベンス・バリチェロ(ジョーダン)のクラッシュ(鼻骨骨折) 2.予選2日目(4/30):ローランド・ラッツェンバーガー(シムテック)のクラッシュ(頭蓋骨骨折による事故死) 3.決勝(5/1):スタート時にエンジンストールしたJJレート(ベネトン)のマシンにペドロ・ラミー(ロータス)が 追突(マシンの破片・タイヤが安全フェンスを飛び越え、9名の観客が負傷) 4.決勝(5/1):セーフティーカーが退いた後の2週目のタンブレロコーナーにてアイルトン・セナ(ウィリアムズ)が クラッシュ(サスペンションアームがヘルメットを貫通、事故死) 5.決勝(5/1):残り10周でピットレーンにてミケーレ・アルボレート(ミナルディ)のマシンから右リアタイヤが 外れ、フェラーリ・ロータスのピットクルー計4名が負傷 と立て続けに事故が起きる悪夢の週末であったことをはっきりと覚えています。 ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ フジテレビでF1中継が開始された1987年からF1を観るようになり、レース中の事故死のニュースは初めての経験 でしたので、相当なショックを受けました。 タンブレロはコーナーとは名ばかりでF1マシンではスロットル全開300km/h超で通過する危険なコーナーで、 ・1987年にネルソン・ピケ(ウィリアムズ) ・1989年にゲルハルト・ベルガ―(フェラーリ) もクラッシュを起こしていましたが、幸いなことに前者は脳振とう・後者は軽い火傷ですみました。 ・セナが事故死する前年の1993年に永遠の宿敵であったアラン・プロストが引退 ・1994年第1戦地元ブラジルグランプリ決勝で2位走行中にスピンしてリタイア ・同年第2戦パシフィックグランプリ決勝ではスタート直後にミカ・ハッキネン(マクラーレン)に追突され コースアウト・リタイア 予選ではサンマリノグランプリまで3戦連続でポールポジションを獲得していましたが、明らかにハンデのあるマシン で5勝(ブラジルインテルラゴス・イギリスドニントンパーク、モンテカルロ市街地・鈴鹿・オーストラリア アデレード市街地)を挙げた前年とは違い、集中力の切れたレース内容がセナらしくないなぁ、と思っていました。 ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ セナ亡き後、ミハエル・シューマッハ、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、セバスチャン・ヴェッテルが 複数年ワールドチャンピオンになっておりますが、全身全霊100%F1に捧げた彼のようなドライバーはもう2度と 会うことはできないと思います。中学1年生~大学2回生にかけて7年間リアルタイムで鬼気迫る走りを観ることが できたことに感謝するとともにあらためてご冥福をお祈りいたします。 ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 今日教会におもむき祈りを捧げていたのは何かの偶然かもしれません。 ここのところの天候急変・寒暖差で体調がすぐれませんが、生かされていること・人との出会いに感謝して 早く元気になるよう努めたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.01 23:01:41
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