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意図してやっているわけではないのだが、コンビニでの合計金額がゾロ目になることが結構ある。「555」とか「333」とか。
先日は悪魔の数字の「666」だった。でも「777」なったことは一度も無い。 【ブックマーク】 ●「切り捨てて良いオタク」がいなくなる?! - 一億総オタク化社会(情報元:まなめはうすさま) オタクブームというものは確かに来るかもしれない。いや、既に始まっているかもしれない。 娯楽は増えたし、ネットとかによって情報は意外とすんなり手に入る。 興味を示したものにのめりこみ、同好の士を見つけるまでの時間は短縮されたかもしれない。 でもそれで、「オタク」に対するマイナスイメージを払拭できるとは到底思えない。 (記事の中にも指摘されているように)いわゆる「侮蔑語」として、そういう傾向の人を貶めるために使用されることもあるし、日本全国の人が「のめりこめる趣味」を獲得したとしても、全ての「趣味」において同等の認識・理解を示すとは思えない。 現在の時点ですでに車やスポーツ、ブランド、やミュージシャンなどにはまっている人が、アニメやゲーム、フィギアなど「一般的にオタクと呼ばれる嗜好」に近い人を同じよう理解できない場合がほどんどだ。「一億総オタク化社会」が仮に訪れたとしても状況は変わらないだろう。 言葉の問題で言えばマニアやコレクターとオタクは近い意味として取られるが、全く同じと取られるわけではないし、むしろ「似て非なるもの」として分けて使われることもある。それが促進されるだけかもしれない。「アキバ系」って言葉も出来たし、代わりの言葉が用意されるだけとも思える。 それに「オタク」という言葉がマイナスイメージを払拭し「一億総オタク化社会」がきたとしても、今度は「一部の人」論争のようなもの起きるだけだと思う。 「オタク=キモイ」が「○○オタクと一緒にしないで!」にかわるだけじゃないだろうか。 「偏見による嫌悪」が「同属嫌悪」に変わって嫌悪される側の状況は変わらない。 ブームという波がくるからといってそれに乗じてみても、「踊らされる」だけの結果になるのではないだろうか。 悲観論が過ぎるかもしれないが…。 ●「気持ちの1/100」 (情報元:明日は明日の風が吹くさま) 関連:伝えるということ (ふぁごっと吹きの徒然草さまより) 記事の内容とずれるかもしれないけど、私は「想いを形に変える」ことが得意な方じゃない。本当はもっと伝えたい何かがいっぱいあるはずなのになかなか形に出来ない。 性格のせいか否定的なこと、ネガティブなことはすぐ浮かぶ。よく会う友人には自分でもかなり厳しいと思うことを言ってしまう事がよくある。事前にセーブすると大抵機を逃し、霧散してしまう。 ネット上となるとなおさらなのかもしれない。人のブログに対するコメントが極端に少ないのは「すぐに言葉に出来ない」からだ。 反応もすぐに得られないし、返ってこないこともある。私自身、家以外で確認や返信が出来ない状況なのでどうしてもリアクションは遅れがちだ。 その時間差も障害の一つになっているのかもしれない。 サイトやブログという「伝える手段」を持っていながら、「伝えたいけど言葉に出来ないこと」を持っている人は少なくないと思う。 いろいろ記事に関するコメントを書いている私にもそういうものはある。 蓄積されていく「想い」に対して、わずかなものでも、時間がかかっても、出来る限り何とか形にしたい…。伝えていきたい…。そういう想いが私にはある。多分それが今ここでブログをしていることの原点なのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 8, 2006 07:37:32 PM
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