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カテゴリ:メディア・社会
なぜ引きこもりはプライドが高いのか。、その2、その3(ヘタレ化するポストモダンさまより)
(1、情報元:こらむろさま。2、情報元:まなめはうすさま) 人間代わりがいないという意味では誰もが特別なのだが、でもそれは「誰も同じ」という意味と同じにもとれる。「自分だけは違う」という特別になりえない。 また、自身に「自分は特別だ」という思いがあっても「自分だけがそう思っていては意味がない」、「他の人たちにも『自分は特別だ』と認めさせたい」そういう思いがあるのかもしれない。 一方、特別でないこと、つまり他の人と同じ「普通」の存在であることを認めることを社会に埋没してしまう事と思い、そのことが自分がいてもいなくても同じ、つまり「自分が必要とされないのでは?」ということを認めることに繋がるから「特別」であることに拘るのではないだろうか。 自分が社会にとって、他人にとって、代替できるパーツであってはならない。そういう思いからプライドが高くなるのではないだろうか。 でも、それを示す方法はない。でも特別であり続けたい…。その「特別であり続けること」を保つためにひきこもり、自分の世界(インナースペース)だけで完結しようとする…。 世の中が自分だけになれば自分以外、「自分を特別だ」と思う自分以外いなくなるから「特別であり続けられる」。そうやって本来「望んでいるわけでもない特別」を手に入れ、維持している状態が「ひきこもり」の状態なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 9, 2005 11:26:03 PM
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